天理教教祖殿逸話篇


「講社のめどに」

明治十六年十一月(陰暦十月)御休息所が落成し、教祖は、十一月二十五日(陰暦十月二十六日)の真夜中にお移り下されたので、梅谷四郎兵衞は、道具も片付け、明日は大阪へかえろうと思って、二十六日夜、小二階で床についた。すると、仲田儀三郎が、緋縮緬の半襦袢を三宝に載せて、「この間中は御苦労であった。教祖は、『これを、明心組の講社のめどに』下さる、とのお言葉であるから、有難く頂戴するように。」とのことである。すると間もなく、山本利三郎が、赤衣を恭々しく捧げて、「『これは着古しやけれど、子供等の着物にでも、仕立て直してやってくれ。』との教祖のお言葉である。」と、唐縮緬の単衣を差し出した。重ね重ねの面目に、「結構な事じゃ、ああ忝ない。」と、手を出して頂戴しようとしたところで、目が覚めた。それは夢であった。 こうなると目が冴えて、再び眠ることが出来ない。とかくするうちに夜も明けた。身仕度をし、朝食も頂いて休憩していると、仲田が赤衣を捧げてやって来た。 「『これは、明心組の講社のめどに』下さる、との教祖のお言葉である。」と、昨夜の夢をそのままに告げた。はて、不思議な事じゃと思いながら、有難く頂戴した。すると、今度は、山本が入って来た。そして、これも昨夜の夢と符節を合わす如く、 「『着古しじゃけれど、子供にやってくれ。』と、教祖が仰せ下された。」と、赤地唐縮緬の単衣を眼前に置いた。それで、有難く頂戴すると、次は、梶本ひさが、上が赤で下が白の五升の重ね餅を持って来て、 「教祖が、『子供達に上げてくれ。』と、仰せられます。」と、伝えた。四郎兵衞は、教祖の重ね重ねの親心を、心の奥底深く感銘すると共に、昨夜の夢と思い合わせて、全く不思議な親神様のお働きに、いつまでも忘れられない強い感激を覚えた。

先が見えんのや
東京々々、長崎


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