天理教教祖殿逸話篇


「おおきに」

紺谷久平は、失明をお救け頂いて、そのお礼詣りに、初めておぢばへ帰らせて頂き、明治十七年二月十六日(陰暦正月二十日)朝、村田幸右衞門に連れられて、妻のたけと共に、初めて、教祖にお目通りさせて頂いた。その時、たけが、お供を紙ひねりにして、教祖に差し上げると、教祖は、 「播州のおたけさんかえ。」と、仰せになり、そのお供を頂くようになされて、 「おおきに。」と、礼を言うて下された。後年、たけが人に語ったのに、「その時、あんなに喜んで下されるのなら、もっと沢山包ませて頂いて置けばよかったのに、と思った。」という。

フラフを立てて
ふしから芽が切る


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