天理教教祖殿逸話篇


「人を救けたら」

明治八年四月上旬、福井県山東村菅浜の榎本栄治郎は、娘きよの気の違いを救けてもらいたいと西国巡礼をして、第八番長谷観音に詣ったところ、茶店の老婆から、「庄屋敷村には生神様がござる。」と聞き、早速、三輪を経て庄屋敷に到り、お屋敷を訪れ、取次に頼んで、教祖にお目通りした。すると、教祖は、 「心配は要らん要らん。家に災難が出ているから、早ようおかえり。かえったら、村の中、戸毎に入り込んで、四十二人の人を救けるのやで。なむてんりわうのみこと、と唱えて、手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで。人を救けたら我が身が救かるのや。」と、お言葉を下された。 栄治郎は、心もはればれとして、庄屋敷を立ち、木津、京都、塩津を経て、菅浜に着いたのは、四月二十三日であった。 娘は、ひどく狂うていた。しかし、両手を合わせて、 なむてんりわうのみことと、繰り返し願うているうちに、不思議にも、娘はだんだんと静かになって来た。それで、教祖のお言葉通り、村中ににをいがけをして廻わり、病人の居る家は重ねて何度も廻わって、四十二人の平癒を拝み続けた。 すると、不思議にも、娘はすっかり全快の御守護を頂いた。方々の家からもお礼に来た。全快した娘には、養子をもろうた。 栄治郎と娘夫婦の三人は、救けて頂いたお礼に、おぢばへ帰らせて頂き、教祖にお目通りさせて頂いた。 教祖は、真っ赤な赤衣をお召しになり、白髪で茶せんに結うておられ、綺麗な上品なお姿であられた、という。

末代にかけて
それでよかろう


TOP


お道のツール