おふでさき検索

第16号 - 14


このたびのざねんとゆうわしんからや
これをはらするもよふないかよ


Konotabi no zanen to yu wa shin kara ya
Kore o harasuru moyo nai kayo

~16註 お道が弘まるにつれて、おぢばを慕うて集まって来る者はだんだん多くなるが、一方、当局の取締りは益々激しくなるので、やむなく申し開きのため、蒸風呂兼宿屋業を営まれて、信者の参詣に便利なようにせられた。しかし、公然神様をおまつりし又参拝する事を許されスのではないから、おつとめをすると直ぐ差し止められ、信者が参拝すると追い払われたりして、ひいてはそれが教祖様の身の上に累を及ばすので、何とかして、自由に参拝者を寄せる方法は無いものかと、考えられた結果、明治三年九月金剛山地福寺の配下に属して、転輪王講社と称キる教会を設け、上段の間には転輪王如来の軸をかけ、その前に御簾をたれ、神鏡を安置して、これを天理王命のめどとして礼拝するようにせられた。この状態は、明治十五年陰暦九月十六日(陽暦十月二十七日)取り払いになるまで続いたのであるが、これを見ても、当時の取締りが@何に激しかったかが分かる。そして、この取締りは、主としてよふきづとめを差し止めて来たのである。このように親神様の天地人間創造の真実を現したたすけづとめを差し止められる事を、親神様は、非常に遺憾千万に思召していた。そして、この激しいもどかしさを晴らすためにヘ、かやしをするが、このかやしが見えて来たならば、人々は自ずから胸の掃除をせねばならぬようになる、と仰せられているのである。

This time, My regret is at the heart's core.Is there not a means to clear it away?

今次神憾生心奧 可有方法使其消
前のおうた
次のおうた

TOP


お道のツール