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第3号 - 73


十一に九がなくなりてしんわすれ
正月廿六日をまつ


Ju ichi ni ku ga nakunarite shin wasure
Shogatsu niju roku nichi o matsu

註 このお歌は教祖が現身をおかくしになることを示されたもので、教祖御在世中は教祖を目標として社会の迫害がだんだん激しくなるので、かくては道が遅れるから、教祖は二十五年の御寿命をお縮めになり姿をおかくし下され、世間の圧迫を少しく道を弘めるもよう立てをキる。それまでに真柱も定まり、かんろだいも建設されるから、皆の心も澄まして、早く人衆そろえてつとめごしらえに取り掛かるようにせよ、とお諭しになったのである。しかし、当時の人々にはこれが分からず、後日の「おさしづ」によって初めて深い親神様の思召しを悟り得たのナあった。(天理教教義及資料集成部「おさしづ」第378頁参照)「さあ/\正月二十六日と筆に付けて置いて、始め掛けた理を見よ。さあ/\又正月二十六日より、やしろの扉を開き世界ろくじに踏み均しに出て始め掛けた理と、さあ/\取り払うと言われてした理と、二つ合わして理を聞き分けば、さあ/\理は鮮やかと分かるやろ、(明治二二、三、一○)

On the eleventh, the nine will be gone and hardship forgotten.I await the twenty-sixth of the first month.

伊年十一我九十 忘辛靜待正二六
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