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第6号 - 29


いまゝてにない事ばかりゆいかけて
よろづたすけのつとめをしへる


Imamade ni nai koto bakari yui kakete
Yorozu tasuke no Tsutome oshieru

以下 52までのお歌は 「元初まりの話」となる。~51今までにない事ばかりを言い聞かせて、よろづたすけのよふきづとめを教える、このかぐらづとめの十人のつとめ人衆の中には、元創めた親神である月日両神の理を受けたものもいる。この月日両神が陽気ぐらしを見たい上から、人間世界創造を発意し、いざなぎのみこと、いざなみのみこと、を引き寄せて人間創造の守護を教えたのである。その元はと言えば、泥海の中に、うをとみとがいた。それを引き出し夫婦を始めたのである。抑々この世の元初まりは泥の海で、その中にどじょうばかりが泳いでいた。その中にうをとみとが混っていて、よく見澄ますと人間の顔をしている。それを見て思いついたのは月日の心ばかりである。即ち、月日の思うには、「このものに、道具を寄せてだんだんと親神が守護を教えた事ならば、さぞ立派な人間が出来よう。」と。そこで、月よみのみここと、くにざづちのみことを引き寄せ、それぞれ種苗代の身の内に仕込んで、男女の性能並びに骨突っ張り、皮つなぎの道具とし、くよもよみのみこと、かしここねのみここと、をみとのべのみこと、たいしよく天のみことを引き寄せて、それぞれ、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る事の道具としたならば、これでいよいよこの「人間の創造に着手出来ようと、月日両神の相談定まって、いよいよ人間創造に取り掛かったのであるが、それから後の親神の守護というものは、実に並々ならぬものであった。何と言っても、今までにない人間創造であるから、その困難は並一通りではなかった。この親神の人類創造並びに生成発展守護の真実を、今までだれ一人知った者はないが、この度これをば詳しく言うて聞かせるから、どのように耳新しい事があっても、疑う心を持たず、しっかり聞くがよい。人間創造の元はうをとみとであって、これを種苗代の道具とし、その体内に月日が入り込んで守護を教えたのである。即ち、元のぢばで親神が、いざなぎのみことと、いざなみのみこと、を夫婦雛型として九億九万九千九百九十九人の子種を三日三夜に宿し込み、三年三月とどまった上で、五分から生まれ出し、五分々々と成人した。そして、一度教えた守護で同じ胎内に三度宿って、再生成育し更に再生に再生を重ねて五尺の人間と成った。人間創造の元の親神は月日であって、その他のものは皆道具である。月日が道具を寄せて人間創造の守護を教え、この創造の功能、守護の理にそれぞれ神名を授けたのである。総註 元の親とは月日両神であって、月様はくにとこたちのみこと、日様はをもたりのみこと、と申し上げる。ここにつとめと仰せられているのは、かぐらづとめの事であって、これはかんろだいをめぐって十柱の神名の役割を勤める十人のつとめ人衆によって勤める。 (第1号10註 釈参照)第三一のお歌以下、かぐらづとめの理を明らかにし、親神様のこの世人問創造の御苦心をお教え下さるために、元初まりのお話を詳しくお説き下されている。このお話は、親神様の御神意を詩的な表現でお諭し下されているのであるから、我々は形而下的な理解にとどまる事なく、心眼を開いて、このお話の奥底に示された親神様の人間御創造の真実を悟り、たすけ一条の親心を了解さして頂くべきである。(詩的表現については、第1号21歌の理参照。)この世の元初まりは泥の海で、その中には月日両神がおいでになったばかりである。或る時月日両神が、「我々両神だけでは何の楽しみもない故、世界を造り人間をこしらえて、その陽気ぐらしをするのを見て、月日も共に楽しもう。」と、御相談なされた。そして、どじょうのようなものばかり沢山泳いでいる泥海の中を御覧になっていると、その中に人魚のようなものと白へびのようなものがいる。そこで、なおもよく見澄まされると、その顔といい、肌合いと言い、月日両神のこしらえようと思っておられるものに、まことにふさわしいものであったので、これをもととして人間を創造しょうとお思い付きになった。そこで、これをお呼び寄せになると、喜んでいそいそと真一文字に親神様の方へ泳いで来た。そこで、このものによく話をして納得させて、人間創造の種苗代の道具とお使い下さる事となった。更に、泥海中をお見廻わしになると、巽(東南)の方にふんばりの強いものがいる。そこで、このものをお呼び寄せになり、納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは皮の丈夫なねばり強いもの故、女一の道具、又筋皮つなぎ人間生まれ出る時は後のつなぎの道具にお使い下さる事となった。この御守護は、くにざづちのみことである。次に乾(西北)の方を御覧になると、威勢のよい突張るものがいる。そこで、これをお呼び寄せになり、納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは威勢の良いものであるから、男一の道具又骨突っ張りの道具にお使い下さる事となった。この御守護は月よみのみことである。次に、卯(東)の方を御覧になると、出入り自在なものがいる。そこで、このものを呼び寄せて納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、飲み食い出入りの道具にお使い下さる事となった。この御守護はくもよみのみことである。次に、坤(西南)の方を御覧になると、大そう平たいものがいる。そこで、このものを引き寄せて納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは平たくて風を起こすのに都合がよいから、息吹き分け、物を言う道具にお使い下さる事となった。この御守護はかしこねのみことである。次に、酉(西)の方を御覧になると、引いてもちぎれぬものがいる、これを引き寄せ納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは強くて引張ってもなかなか切れぬもの故、人間生まれ出る時は胎内から引出しの道具にお使い下さる事となった。この御守護はをふとのべのみことである。次に、艮(東北)の方を御覧になると、腹のふくれたものがいる。そこで、これを引き寄せて納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは大食するもので、大食すると死ぬ事があり、又、このものはうっかり食べると毒に中って死ぬ事があるから、人間生まれ出る時は母親との胎縁を切り、出直す時はこの世との縁を切る道具にお使い下さる事となった。この御守護はたいしよく天のみことである。こうして、人間創造の道具も皆揃うたので」これからいよいよこの世人間をお創め下さる事となり、「子数の年限経ったその上は、元なるぢばへ連れ帰り、神として拝をさせ、ともども人間の陽気遊山を見て楽しもう。」とお約束なされ、ここに親神様の御守護によって、世界人間創造の神業に御着手なさる事となった。即ち、人魚のようなものには、月よみのみことのお働きを仕込み、月様が入り込んで種、白へびのようなものには、くにざづちのみことのお働きを仕込み、日様が入り込んで苗代とされた。この男雛型種の働きはいざなぎのみこと、女雛型苗代の働きはいざなみのみことである。こうして、親神、天理王命様のお心尽しにより、いざなぎのみこと、いざなみのみことを、夫婦雛型として、子数のどじょうを食べてしもうて、これを子種として、ぢばで三日三夜の間に九億九万九千九百九十九人の子数の人間をお宿し込みになった。それから、いぎなみのみことは三年三月ぢばにおとどまりになった上で、これを奈良初瀬七里の間に七日かかってお産みおろし下されたのを手始めに、合計七十五日かかって全部の子数をお産みおろし下された。それで今でも七十五日を産屋明けと言う。この初産に生まれた人間は身長五分であったが、五分々々と成人して、九十九年目には三寸まで成人して皆一度に出直してしまった。そして、いぎなぎのみこともこの時お出直しになった。そこで、一度教えられた守護で、いざなみのみことの胎内に元の子数をお宿し下され、この度も又五分から生まれ出し、五分々々と成人して、九十九年目には三寸五分まで成人して、又皆出直してしもうた。その後、いざなみのみことの胎内へ、又々元の子数をお宿し下され、この度も又五分ゥら生まれ出し、五分五分と成人して九十九年目に四寸まで成人した時、いざなみのみことはこれを見て「もうこれなら追々五尺の人間になるであろう」とおっしゃって、にっこり笑うてお出直しになった。そこで、子数の人間も皆その後を慕うて出直してしもうた。それから後は、月日両神の御守護で、人間は虫けら鳥畜類と八千八度生まれかわった。それ故、人間は何のまねでも出来るのである。こうして八千八度の生まれかわりが済んだ時に、一度皆出直してしまい、後にめざるがたった一匹だけ残り、その胎内から男五人女五人、合わせて十人ずつ生まれ出た。この時も、生まれ出しは五分からで、五分々々と成人して八寸になった時に泥水に高低出来かけ、なお成人して一尺八寸になった時に、水陸の区別が分かりかけた。そしてこれから先は、一胎に男一人女一人計二人ずつ生まれ、なお成人して三尺になった時に、人間は言葉を語り始めた。それで、今でも三才になると小児が物を言い始め、又ちえもつきかけるのである。三尺から後は、一胎に一人ずつ生まれた。そしてだんだんと食物を求めて広い世界へ渡って行ったのである。五尺になった時、速かに海陸分かれ、天地定まり、日月も明らかに現れて、人間は水中を離れ、それぞれ近くの陸へ上がり住んだ。こうして、今日のように世界中の土地所々に人間が住みつくようになったのである。であるから、世界中の人間は皆親神様の可愛いい子供、一列人間はお互いに同胞である。この時まで、水中の住居は九億九万年、陸に上がってから六千年はちえの仕込み、三千九百九十九年は学問の仕込みをして下された。かようにして親神様はだんだん人間を仕込んで下され、十中八九までお育て下さったのであるが、今一歩というところが仕込めてなかった。ここに約束の子数の年限到来して、天保九年十月二十六日、この世人間を御創造下された元の親神天理王命様が元のぢばに天降られ、教祖様を月日のやしろとして、そのお口を通して今一歩という最後の仕込み、即ち世界一列たすけのだめの教をお説き下さる事となった。即ち、天理王命様とは、万物を摂理し給う月日両神、即ちこの世人間を創造し給い、守護し給、元の親神様であって、この親神様の御守護の御理の一つ一つに神名をつけて、十柱の神名をお教え下されている。十柱の神名とは、くにとこたちのみこと、をもたりのみこと、くにさづちのみこと、月よみのみこと、くもよみのみこと、かしこねのみこと、たいしよく天のみこと、をふとのべのみこと、いざなぎのみこと、いざなみのみことである。まことに天理王命様は、全宇宙を創造し、全宇宙を身体として、普くひろく実在し守護し給う元の親、実の神であって、この世に於ては、教祖様を神のやしろとして元なるぢばに直き直き現れ給う神様である。即ち、天理王命様の神名はぢば末代の理に授けられ教祖様は生きて永えにぢばに留まり給う。これを、教祖存命の理と言う。まことに元なるぢばこそは天理王命様の現れ給う所、たすけ一条の根元であり、本数信仰の生命である。

I shall begin to tell you solely of that which had never existedbefore, and teach you the Service for universal salvation.

從未有事今告汝 並授萬般拯救舞
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