おふでさき検索

第6号 - 64


いまゝでも月日のまゝであるなれど
ひがきたらんでみゆるしていた


Imamade mo Tsukihi no mama de aru naredo
Hi ga kitaran de miyurushite ita

この世人間を創めてから今までも、親神は自由自在の働きをしていたのであるが、まだ人々の心が成人の域に達する日が来なかったので、どんな事を言うてもどんな事をしても、見過ごしていたのである。ところが、この度は最早十分に成人の域に達する日が来たので、何かにつけて総て自由自在に親神の働きを現す事にする。

Even until now, though everything was under the rule of Tsukihi,things were overlooked because the day had not yet come.

至今月日隨心做 時機未至皆放過
前のおうた
次のおうた

TOP


お道のツール