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第7号 - 65


このたびのはらみているをうちなるわ
なんとをもふてまちているやら


Konotabi no haramite iru o uchi naru wa
Nanto omote machite iru yara

~72総註 秀司先生の庶子お秀様は、六年前即ち明治三年三月十五日に出直された。このお秀様の魂は元々深いいんねんがあるので、親神様は早くいんねんある元の屋敷へ生まれ出さしたいどその魂をしっかり抱さしめておられたが、時旬の来るのを待って秀司先生の奥様まのまつゑ様に宿し込まれ、出産せしめられる事を予言せられたものである。こういう深い親神様の意図を知らぬそばな人々は、深い神意の程を知らず、何事かよく分からぬままに軽く聞き流していたのであるが、親神様には、今度生れる子供は女の子である事まで分かってあるから、出産前から「たまへ」という名前まで付けて置かれたのである。これは、親神様のお働きが自由自在である事を実証せられたものである。そして、このような自由自在を見たいと思うならば、親神様の教えられるおつとめの手をしっかり覚えて勤めてくれよ、と、仰せられたのである。(第一号61及第3号110註 参照。)

What are the thoughts of those withinabout the baby now conceived?

汝等對今懷孕事 以何思念等待之
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