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松村吉太郎のぼせるに付伺

さあ/\身上事情ありて尋ねる。どういう事も聞いて居るやろう、どういう事も見て居るやろう。身上の処一つもう思うまい。幾日経ったらどういうもの、いつになったらどう成ろうと思う。世界からの理、いかなる処、大きな心悠っくりと治め。神のさしづは違わんで。どんな事でも身上の理が分からにゃどうもならん。身上から理を計り出してすれば何かの理も分かるという。

押して願
さあ/\事情あれば一つ事情運んで、又々一つ内々の処も運んで、身上から一つ話て、何かの理も話てくれるよう。
【説明】
松村吉太郎、高安大教会初代会長。 何時になったらどうなるかと、先案じするのは世界並の理である。どういうところも大きな心をゆっくりと治めよといういみで、「のぼせ」は案じてかっとなってはならないと指示されたのであろう。
【摘要】
頭についてのおさしづを要約すると、人間思案(特に高慢の心)を捨て、親神の思し召しに素直にそいきり、幾重の中もたんのうして通れという意味のものが多いように思う。一言にして申せば、理の考え違いを戒めていられるように思う。考え違いを引き起こすもとは、めいめいの欲の心であり、何について理の考え違いをしたかは、その人のいんねんによるのである。身上かしもの・かりものの理をよく思案し、教祖のひながたをしのび、自分がおたすけいただいた最初の道すがらを忘れずに通れば、考え違いがなくなり、日々たんのうの心がおさまり、陽気ぐらしができるであろう。

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