おさしず検索


増野正兵衞鼻先一寸痛み、又夢にかみそり身に打付ける事四度、誰とも分からず、追い掛け身体抱きかゝえ、脊より切られると夢醒めしに付伺

さあ/\心得ん。悟りどういうものであろう。生であろうか、現であろうか。いかなる悟り。案じる事は要らんが、一寸の理を諭し置く。一日二日入り来る寄り来る処、一つ案じ心は要らん。めん/\心得ん一つの事情。
【説明】
ここ一両日中に、来る人について案じ心はいらないという意味で、鼻先の痛みは、先案じしてはならぬと指示されたのであろう。 \n\n (1) ここ一日二日、おぢばに移り、住み込むことについて心配しているが、何も先案じする心は必要でない。この夢は当時の増野氏の心定めに対する家族の反対という板挟みの事情をよく示している。
【摘要】
鼻に関するおさしづは多くないが、これを要約すると、先案じせずに、内々(家内)の者を安心させよ。早く理を治めよ。(鼻血)早く事情を治めよ(鼻汁)誠一つの理がつまるー通じないー解らない。(鼻つまり)不慮の事が起きるから用心せよ。(鼻先の障り)ということを指示されているように思われる。鼻は、腐敗しているかどうか予め臭いをかぎわけるところであり、また呼吸の出入口であることを考えると、先案じをしてはならぬ、理が通じないというさとしの意味が、よく解るであろう。鼻血、鼻汁は、早く治めねばならぬものであることを考えると、理を、事情を治めよいいうさとしの意味が納得されるであろう。不慮の出来事でぶつかるのは鼻先である。鼻先の障りが不慮の出来事についての予告であるのは、この意味においてであろう。 \n\n 生活水準の上昇に伴い、道一条の生活は一層困難であるという見方もある。しかし何といっても道一条の生活こそ、親神の度々の理に受け取って頂く道である。  これは全く、その人のいんねんによるのである。いかに反対であっても、旬が来たならば待ったなしに、そうならざるを得ないのである。  お道に財産をつくすことはいんねんを洗いかえるためである。その際反対に会い、また本人も不安に思うであろうが、そのために教祖のひながたが示されてあるのであり、教祖の理にもたれて通るならば、やがて闇夜が明けるような道に出ることが出来る。  いんねんならば、お道を通らなくても財産を失うようになるのであり、お道になったから財産を失ったというのではなく、失うべき旬が来たのでお道に手引きしていただいたと悟るべきである。  道一条を通る者は、 (1) いんねんの自覚とその洗いかえ (2) をやにもたれてをやのひながたをふむ (3) おさづけを取り次ぐ (4) だめの教えたるゆえんをよく治める (5) 将来を楽しむ ことが大切である。

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