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梅谷四郎兵衞おさづけ頂く

天の月日様より、長々の間、ようこそ勤めて、このやしきへ来た。あちらへも一寸、こちらへもと、心を尽し、又は大層々々な処を凌ぎて来た。まこと難しい処もあり、越し難くい処も、ようこそ随いて来た。さあ/\小人の処、身の内障りは、長い処を、このぢばへ来た。なれども神が四五日と言うて、足止めたのは、今が初めやろうがな/\。さあ/\楽しみを渡す。

さあしいかりと呑み込めと。
 又次に、檪本の梶本父上は、この度はなか/\の難しき障りにて、又松治郎小人二才の方も、なか/\の難しき障りにて、又松治郎御家内の父五十二才の御方も、昨日真性コレラにて、十五日夜の十二時に伺いに参りし処、又その帰りにて梶本松治郎は、大の腹痛なり。〆四人の御方の御障りにて四郎兵衞も俄にそれを見て、腹が少しく痛むに付願

神が足を止めたのは、これを見ようとて、足を止めたのである。神というものは、この事が見えてある。これを見せて置いた。置いたなら、忘れようと思うても、忘れる事が出けまいがな。さあ/\しいかりとお受けをせよと。
(有難くも/\、口で申すような、結構な事ではない/\/\、まことに/\有難き事なり。)
【説明】
(1) 梅谷四郎兵衛氏 本部員・船場大教会初代会長。明治十四年二月長兄浅七氏の「そこひ」より入信。大阪で左官職を営んでいたが、この頃おさしづと夢とにより道一条の心定めをした。
【摘要】
生活水準の上昇に伴い、道一条の生活は一層困難であるという見方もある。しかし何といっても道一条の生活こそ、親神の度々の理に受け取って頂く道である。  これは全く、その人のいんねんによるのである。いかに反対であっても、旬が来たならば待ったなしに、そうならざるを得ないのである。  お道に財産をつくすことはいんねんを洗いかえるためである。その際反対に会い、また本人も不安に思うであろうが、そのために教祖のひながたが示されてあるのであり、教祖の理にもたれて通るならば、やがて闇夜が明けるような道に出ることが出来る。  いんねんならば、お道を通らなくても財産を失うようになるのであり、お道になったから財産を失ったというのではなく、失うべき旬が来たのでお道に手引きしていただいたと悟るべきである。  道一条を通る者は、 (1) いんねんの自覚とその洗いかえ (2) をやにもたれてをやのひながたをふむ (3) おさづけを取り次ぐ (4) だめの教えたるゆえんをよく治める (5) 将来を楽しむ ことが大切である。

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