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村田長平四十二才目の左の方より肩へこり付けるに付願

さあ/\尋ねる/\、だん/\事情尋ねる。一つの事情やれ/\、さあ/\又々事情どういう事、さあ/\尋ねる。尋ねるから又一つ事情の理を聞き、一つ順序一つの理から一つの理定め。日々思やん又一つ身上心得ん、いかなる事情聞き分け。長らえて大抵な道、大望な道ともいう。どういう事も聞いて、事情一つの理。身上事情あれば一ついかなる理鮮やか、どういう理も鮮やか。事情治めた心分かる。身上からこれより一つ何よの処、事情の処も通りくれるであろう。よく聞き分けてくれ。人間又々年限速やかとあろう。いかなる処、身上速やかなれば、見るも聞くも一つあって一つ、一夜々々試したんのうという。心一つ事情聞き、一夜鮮やかいつ/\まで事情諭し置こう。
【説明】
村田長平、教祖御在世当時よりの高弟。 長い間大抵な道大層な道(容易でない道)を通っているが、これも順序(成人の道すがら)であるから、たんのうの理を定めて通れ。という意味で、肩にこりつけるのは、成人の道すがらにあたえられる重荷を不足してはならぬ。たんのうしてになって行けということを指示されたのであろう。
【摘要】
肩は荷物を担ぐところである。たとえ困難な事情があっても、それは成人の道すがらとさとり、将来を楽しんで、苦労を苦労とせず、自ら進んで重荷をたんのうして担え、とさとしていられることは、肩の役割と関連して、よく悟らせていただかなければならぬ。一言にして肩のさとしは、尽くし運ぶことー理の実行ーについてのものであると云えるであろう。これは、肩は物を担う処であることと関連して考えなければならぬと思う。尽くし運んですぐ御守護が見えればよいが、むしろすぐ御守護の現れないことが多い。それが将来への伏せ込みとなるのであるが、その時人間思案で迷うたり疑ったりしていずむ。そこを一段と尽くし運ぶところに、その人の真実があり、真におたすけいただく道が開かれるのである。

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