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山中忠七扇の伺の事に付伺

さあ/\扇の伺い/\というは、心得までのため、これは古きの道や。僅か年限は知れてある。教会を治めて居るなら、世界からどうであろうと心掛けて居よう。俺も見ようか。今の一時難しい処、古き処で止め置きたる処も暫くという。用いる者が悪いのや。これ一寸々々と言う者が悪いのや。めん/\からは出やしょうまい。それだけの心の理が分からねばどうもならん。扇伺いは言葉では言わん。それから遂にはこふまんの理が出る。そこで皆止めた事情は古き事情。ならん処の働き、一人の人争う処の事情、内々の事情に人間の理を働き、すっきり捨てゝは居やんなれど、修理無しの蒔流し、あちらでひょろ/\、こちらでひょろ/\。内にはしっかりして居るなれど、道にはひょろ/\というようなものや。日々の働き方分からんから、そういう事を言う。教会ならば教会の理を治めるよう。

同日、引き続いて普請の事情願
さあ/\仮家普請々々々々と言うてある。仮家普請でも、こゝはこうせにゃならんという。今まで掛かり掛けた処はそのまゝ運ぶがよい。なれどよう聞き分け。仮家普請というは、何時払わんならんやらこれ知れん。取り払う時に余分のものはどんならん。大層な事して置いてはいかん。ひんずな事してくれてはどんならん。今一時掛かり掛けたる処は許すによって、心置き無くしてくれるがよい。

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