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喜多治郎吉胸痛み、四五日障るに付願

さあ/\身の内の処、一寸掛かる事情/\、一つ事情諭そ。いかなるもどういう事、思やんどういう事、何である心得ん、何にも案じる事は要らん。今までこれまでいかなる事情、日々月々年々事情、これまで運ぶ一つの事情、一つの諭、十分聞いて一つ諭し、速やか話してやるがよい。十分理を諭し置くによって、十分の心を定め、日々治まり付く。送る事情聞いてどうである。内々更に無い事情聞かしてやるがよい。
【説明】
喜多治郎吉、本部員。 十分理をさとしおくから、神一條の心を十分にさだめよ。そうすれば、日々治まりがつく。という意味で、胸痛は、理をうたがわずに十分におさめよ、ということを指示されたのであろう。
【摘要】
胸は”胸の思い”等言うように、昔は心のあるところ、即ち精神作用の根源地と考えられていた。胸痛は、神意が治まらず、神意に添いきれず、案じ心を遣ったりして、不足する人間心をいましめていられるものが多い。一般に痛みは、不足の心のきつい場合に見せられるように思われる。

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