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梅谷梅次郎目の障りに付願

さあ/\しいかりと聞かねば分からん。道の道なら幾重の道もあり、小人の身の障りなる処は、あちらへも行きこちらへも行きて、勤める処の定めなれど、内なる処判然として、道が付いてあるようで、判然とせず、判然せぬようで、道が付いてあるのやで。さあこうしたなれど、これではと思う心で居ては、道のために心を尽した事が薄く成る。そこで、一寸出越した処は、五十年の道すがらに幾重の道もあり、又出越した処の談示も、いろ/\に談示々々あり、又刻限話、聞かさにゃならん事もあり、そこで、世界には判然として立派なるものがありて、あれは判然たるものと言うて居れども、もう暫くの間には、さあ/\内なる処、判然としてあるようで判然でなしと、思うて居るなれど、判然でない立派でない処より、判然として。今までに判然たるで、偉い者があんなで、偉い者が何にもならんと言うように、こゝ暫くの間に成る程に。そこで、これを聞かして置かねばならん。どんな談示もある。なれど、五十年の道すがらの事を聞いて、心定めて、どんな談示もせえとも言わん、すなとも言わん。これを聞かして置かねばならんで。小人の身の内障り。
【説明】
(1) 梅谷楢治郎氏 船場大教会初代会長梅谷四郎兵衛氏三男。 (2) 道一条の道中はどんな道もある。道一条になるにはなったが、楢治郎の身上障りによって、これではと心を迷わすようでは、折角道のために心をつくしながらその理は薄くなる。教祖五十年の道すがらには幾重の道があり、また道一条に出越したのだから、いろいろ談示もせねばならぬ。また刻限の話を聞かせたいこともある。 (3) 教祖五十年のひながたの道すがらを聞いて、心定めて通ってもらいたい。しかし、どんな談示をせよとも、するなとも言わない。
【摘要】
子供に関するおさしづを検索すると、次のような点が指摘されている。 一、 親と子の関係 (1) 子供は先祖の魂の生まれ更わりである。親が子となり子が親となり、互いに恩の報じ合いをして通るのである。  山沢さよ姉は祖母に当たる梶本ひさ姉の生まれ更わり、永尾たつゑ姉は永尾家三代前の母の生まれ更わり、増野道興氏は祖父庄兵衛氏の生まれ更わりである。  なお前生いんねん果たしができていなければ、そのいんねんを今生に持ち越す。また親がいんねん切りの道を通れば子供はしあわせになる。親がたすけ一条の道を通らなければいんねんは切れない。 (2) 嗣子はいんねんによって結ばれる。よい子を持つも、よくない子を持つも、すべていんねんによる。 (3) 子供は先祖から受け継いだ理を享けて通るものである。ただ一代限りだと思ってはならぬ。理は末代である。 二、 子供とは (1) 子供は各自持って生まれた徳分を持つ。子供が幾人いても神が引き受ける。 (2) 子供は十五歳まではおやのいんねん、すなわち十四歳以下は親のいんねん、先祖代々のいんねんを担うものであり、十五歳以上は本人の心遣いによる。現在教会本部で戴くおまもりは、十四歳以下は子供おまもりを戴く、十五歳以上は大人のおまもりを戴く。 (3) 子供は宝である。仮に今は宝のように思えなくとも、将来かけがえのない宝である。 三、 子供の身上 (1) 子供の患いは一家中の患いである。 (2) 子供の身上は、親の心遣いの投影である。山沢ミキノ姉の上げ下し、永尾たつゑ姉や梶本ミチ姉の夜泣きは、親の心の投影であると言われる。 (3) 子供の身上より心を定めよ。子供の身上は精神定めの台である。小児深谷景三の身上障りを通し、河原町分教会の事情定めによって、甲賀・水口・湖東の分離昇格が打ち出された。山名分教会の諸井政一氏の身上によって後継者問題が再確認された。 (4) 親にとって子供は可愛いものである。わが子の身上を通し、理の親たるの心をしっかり定めるよう。 四、 子供のない場合 (1) 子供の授からないのは前生いんねんによる。与えられた境遇をたんのうして通ること。 (2) 子供があたわらないのは自分らに、そのあたえがないからであり、しっかり徳を積むよう。 (3) 道を通れば理の子供があたわる。心に思い残すことのないよう勇んで通ること。

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