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京都にて僧侶等集まり、天理教攻撃するとかにて、対抗上河原町分教会も説教するに付、本部より一二名出張あり度儀申出により伺

さあ/\どういう事尋ね出る。尋ね出れば一つの理を諭し置こう。何処にどういう事を言う。日々という、世上には理を立てる。いか程の事を言うても、真実の理を心に治め置かねばならん。どんな難を立て替える。難しい処も治めてやらねばならん。一日と言えば三日と言う。今の処日々言い立てる、騒ぎ立てる。一日の理をそのまゝ治め。又々日々の理に治めば治まらんやない。一時に治めようと思うてもそれはいかん。二日三日と日を追うて治めば、どんな事でも治まらんやない。何も恐れる事は一寸も要らんで。よう聞き分け。天の理は潰そうと思うても潰れる事はない。心に天の理を治める。

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さあ/\一日という事情、三日という事情。そこで一日の事情はそのまゝ、三日という事情を以て治め。これだけ諭し置こう。
【説明】
(1) 明治二十三年十一月二十六日、京都市右京区上桂町に起こった上桂村事件(「河原町大教会史・上巻」参照)のおさしづである。事件の経緯は、十一月十六日京都府乙訓郡塚原村の奥村安兵衛氏宅で戸田浅吉氏が講和している時、浄土宗の僧侶が聞きに来ていて突然弁難を始めた。口論の末、上桂の大八木藤治郎講元宅で討論する約束をした。大八木氏宅は、この地区の総合講社であった。  当地方の僧侶たちは、昔から宗旨を棄てて天理教に転宗するとは不届きであり、今度の事件を機会に徹底的に糾弾するとの構えであるとのことであった。深谷会長は本部へ一、二名の方の出張を願った。  このおさしづによって「天の理は潰れない」「三日かかって治めよ」との意向を伺い、本部より橋本・梶本両氏が二十三日出張した。二十六日祭典日当日天理教側三百人、僧侶側六十三人、桂警察署より署長ら七人出張し、目撃者の話によれば、その他を合わせると集まった者千人を超えたという。署長は、この様子を見て説教中止を宣告した。  ところで、このあと二十七日夕門脇町説教所で公開講話を行い、例の僧侶も来たが難なきを得た。また二十八日改めて大八木氏宅で講和が行われたが、何ら妨害するものなくおさしづの通り前後三日かかって事件は決着した。 (2) どこから、どんなことをいってこようとも、また世間で、どのような難題を言ってこようとも、真実の理を心に治めておくことが肝心である。どんな難しいところも治めてやらねばならぬ。今のところでは日々言いたて騒ぎ立てているようだが、一時に治めようとするな。二日三日と日を追うて、治めれば治まるものである。何も恐れる必要はない。天の理は潰そうと思うても潰れることはない。心に天の理を治める (3) 三日かけて治めよ。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。

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