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御諭

さあ/\一寸話掛けたら始まる。長らえ/\ての事情、よき旬という事情の定まりある。いつ幾日何年という証分からん。これまでの諭し、後先の事情ある。始め掛けたら治めにゃならん。いつからと言う。めん/\心出し難くい。旬と言うてある。旬が外れたら、どんな心の理が出るやら知れん。言い掛けたら仕切って言い掛ける。治めにゃならん。何遍さしづしたかて、聞いたなりや。案じの道を見てめん/\の心思え。案じた道の事情を見て、今一時を見て、何程の旬を見よ。今日に言うて今日に成らん。速やかなる道を治め。それから世界の事情治めば案じ無い。実々と思えば実となる。案じ/\の理を見て事情何か見て旬を見て、日々に遅れてある、道が皆遅れてある。道は話通り十分に付けてある。心一つの理を以て、互い/\の心を持って、あちらでぼそ/\、そちらであらこら言えば直ぐの道を通られやせん。心を皆純粋に治めてくれ。陰で言うより前で言え。いかん事はいかんと陰で見て陰で言わんと直ぐに言え。陰で言うたら重罪の罪と言わうがな。
【説明】
(1) 心を澄まして、神の思惑のままに事を運べ。神の思惑のままに治めれば、世界の事情は治まるので、案じることはない。神の話を真実と思って、行えば真実となる。案じてばかりいてはいけないので、よく事情をみて、旬の理の上から考えてゆけ。神の話どおり実現してくるので、それを案じるから遅れてくる。思惑の道は話どおりに、十分に成就してくるのである。
【摘要】
世界の事情という言葉は、いろいろの意味に用いられる。一般的に言えばうちとせかいという対照において、対外的問題として対処すべき事情である。しかし、ここでは、もう少し限定して、世界にあらわれてくる大事情といった意味で用いる。  世界の事情は、親神のざんねんの現れとして、自然現象と社会現象とに分けて見られる。このうち自然現象については、この教理研究では「教会生活の出来事」および「教政」で研究されている。  社会現象については、いろいろの事情が見られるように考えられるが、ここでは戦争に関するものと、世界事情に対処する心構えを教えられた、とみられる刻限のお諭しの若干を挙げた。 (1) この世界を治めているのは親神であって、その思惑は神一条の道・たすけ一条の道(つとめやさづけ)によって成就されていくのである。 (2) 神一条の精神によって事情を治める。 (3) 心のほこりを払い、心を澄まして親神の思召しのままに対処する。 (4) 事情は旬によってあらわれるので、その旬の理によって事情を見る (5) どんな困難なことが起きても、爼板とも台ともなる、という大きな心構えでなければならない。そのためにはたすけ一条ということを、よく理解する必要がある。 (6) 事情をいかに見るか、いかに対処するかということについては、おふでさきに書いてある。

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