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兵神分教会部下加古支教会月次祭十五日の願

さあ/\/\尋ねる事情/\、皆々の処、いつ/\の処、事情運んで心の集まる処、心置き無う許そ。生涯の理に許そう。

説教日、五日二十五日の願
さあ/\/\、ドウ/\の事情速やか許そ。

信者の御霊祭を五日の説教の前に兼ねて神楽を上げさして頂きたく願
さあ/\尋ねる事情、先ず/\今の処は心だけの事情を運んでやるがよい。いずれ又治める。今の処は心だけの事情を治めてやるがよい。
【説明】
(1) 意味不明、同々の事情か? (2) 今のところはおおげさなことをせず、心にこうと思うところが見えるようにするだけでよい。祭りの形式は将来定まる日がある。
【摘要】
祭儀に関する事情というのは、一般にほとんど起きない。祭儀式は定められた形式があって、それに準拠して執行されるものであるから、もし問題が起こるとすれば何かの事情で、それが規定通りに執行できない場合ということになる。この場合、祭儀式の種類によって、それぞれの事情が複雑になってくるのは言うまでもない。  祭儀の中心はおつとめである。一般教会のと教会本部のとの相違および関連性、つとめ人衆の理、祭典日などには、それぞれ理がある。なぜ、そうなっているかという教理的理由があるので、やむをえない事情以外おさしづでは変更しないように諭されている(なお変更については、明治二十九年四月の内務省訓令以後の、とくに明治二十九年五月二十日のおさしづ、および「稿本中山真之亮伝」215~235頁参照)。  このような事情のおさしづは、適当な引用例をあげることが難しいので、ここでは、祭儀に関係のあるおさしづの中で、特に祭儀を諭されていると思われる例を引かせていただいた。もちろん例の数も不十分であり、本部と一般教会とが同列に取り上げられているなど雑然としているが、これらの例から、祭儀に関して疑問の起こりそうなところや、その悟り方が明らかになろう。  明治二十七年七月三十日のおさしづは、世界の事情の項目にもあげられているが、おつとめの意義が鮮明に述べられている例として、ここにもあげさせていただいた。また祭儀にはおつとめ以外、たとえば葬祭などいくつかあるが省略した。

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