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五年祭に付、教祖の御霊舎を新造御許し願、又御居間へ御簾掛ける事、机の新調の儀併せて御許しの願

さあ/\尋ねる事情/\/\の処、どうしてこうしてと思う。思う処まあ一寸ほんのざっとにして、何程大層する事は要らん。これがきっしよう、どういう事、こういう事思う。何も別段大層の事は要らん。元にひながた通り/\、変わった事は要らん。一寸前々祀り方どうもならん。社というさしづを以て、ひながた生涯定め、ひながた通りして諭してくれ。きっしようの事、これだけ一つ運ぶ。そこで尋ね、尋ね通り日々の処治まり一つ社一寸雛形、この雛形出たものでないで。雛形通り何処まで違わん処/\、雛形通り治めてある、仮社治めある。風の変わってある違うたひながた。一手ひながた道があれば一手ひながた、振り変えばひながたと言わん。あちらこちら心のひながた出して、ひながた/\変えて、いかなる理も治まりあろうまい。日々尋ね、日々諭しよう。これまでふあ/\というもので心という。この道一つ変わった事すればひながたとは言わん。世上という、風の変わったものは無いか。ひながたとは言わん。

同時、御面を新調する事御許し下されますや、修復をさして頂きますや願
さあ/\元々一つ元々尋ね、さしづしよう。古き物は損じてあるなれば仕替えとは言わん。要るべき物はそれ/\拵えにゃならん。一寸不足なったらどうもならん。そこで要らざらん事は一つも要らん。
【説明】
(1) 教祖五年祭には、どうしてもこうしても、いろいろ思うであろうが決して大層なことはいらない。この五年祭こそ吉祥と、お前たちはあれもこれもと考えるであろうが、何も大義大層なことはいらないのである。前々から教祖ひながたの道をもって、お前たちの通り方については示してあるのだから、そのひながた通りにすればよいので、特別に変わったことをすることはいらぬ。また、教祖に仕える態度にしても「月日のやしろ」として存命同様に働いているのであるから、その理に仕えることが生涯の在り方であり、この点も、しっかり諭し合い、間違いのないように運んでもらいたい。 (2) あっちこっちで勝手な基準を出して、ひながたを変えてしまうようでは、どんなことも治まるはずがない。だから神一条の通り方にはずれないよう、日々に尋ねるがよい。そうすれば日々に諭しもしよう。もともと心というものは、ふわふわと変わりやすいものであるが、ひながたをはずして変わったことをしていたのでは、ひながたの意味がなくなってしまう。それでは世上の通り方になってしまう。そういうことがないかどうか、よく思案してみよ。もし、あるとすればひながたの道を通っているとは言えない。
【摘要】
教祖の年祭についての思召しは、おさしづの随所に出ているので、ここに挙げたのは、そのほんの一部である。これらのおさしづによって、一貫してお諭しくだされている要点は、次の点にあると悟れる。 (1) 年祭を勤める根本の精神は、人間思案を捨て、神一条にたちきること。 (2) 年祭は単に年限が来たから勤めるというのではなく、道全体、また道につながる一人々々の成人の旬である。 (3) したがって年祭を勤めるについては、決して形の上にのみ心をとらわれるのではなく、神一条の心定めこそが肝要である。 (4) それには道の者一人々々が、しっかり教祖のひながたに帰り、その実践こそが日々の目標となる。 (5) それには日々に勇み心を持って、しっかり喜びの理をぢばに運ぶこと。

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