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春野千代腹痛腰子宮痛み伺

いかなる尋ねる処、前々より神に頼む。いか程思うてもいかん。めん/\かりもの承知。かりもの分かっても、かりものの理自由分からねば何もならん。かりもの理で一寸印あれば、ほんにたんのうして、一つ些か、あれは何ぼ/\思う。めん/\消すのじゃで。日々道も同じ事、何にもならんでないで。身上よう発散、よう聞き分けて置け。夫婦身上はとは、一つ身の障り、たんのうして通らねばならん。
【説明】
春野お千代、本部員春野貞造祖母。 以前より神様に頼むが、どれほどたすかりたいと思っても、ただ思うだけではだめだ。各自、身上借物ということは承知しているが、借物ということが解っても、心一つで借物の身上を自由に使わしていただくことがが解らなければなにもならない。借物の身上に一寸おしるしいただいたら、ほんとうにたんのうの理を治めよ。という意味で、腹痛は、たんのうの理を十分に治めよということを指示されたのであろう。
【摘要】
腹痛には(1)理を十分に治めること (2)理を聞き分けて運ぶこと(実行すること)をさとしていられる場合が多い。りは特にいんねんの理、たんのうの理を指していられるように思われる。

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