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刻限

さあ/\/\刻限を以て話し掛ける。さあ/\どういう事話し掛けるなら、さあさあ一日の日も、よう/\の日、さあ/\明けるなら一つという。さあ話し掛けたら、どういう事も万事話通り、いかなるも皆今一時筆に書き取る処、一日の日が移る。五箇年々々々と五箇年の日に移る。四方々々所々もいずれ/\五年々々、どういう事、万事何かの事話し掛けるによって、事情は一つ、人間の心の理というは更々持たぬよう。さあ/\五箇年々々々、五年経ったらどういう道とも分かろまい。世界の道も分かろまい。一年経てば一つの事情、又一年経てば一つの事情、年に取りて六十一年、お陰/\と待ち兼ねたる処、又一つには改正々々という、明治の代という、国会という。知らず/\待って、さあ楽しみの道は更にあろまい。一夜の間の事情を見よ。国会二十三年と言うた一つの事情、又お陰/\の事情、よう思やんせよ。さあ/\明ければ五年という。万事一つの事情を定め掛け。定めるには人間の心は更々要らん。弱い心は更に持たず、気兼ね遠慮は必ず要らん。さあ思やんしてくれ。これから先は神一条の道。国会では治まらん。神一条の道で治める。怖わい道があって、やれ楽しみという。五年々々の事情もう経ち切ったる。一つの日柄、世上には余程の理も運び、よう/\の理が一寸治め掛け。治め掛けは、何か難し道である。どういう事も難しい。年が明けたら五年、一日の日から始める。国々国々の処、万事取り締まり、さあ/\何か談示々々、談示の決は、これまでよりも神のさしづ。さしづ通りの道なら、どんな事も遠慮気兼ねするやない。さあ楽しんだ。五箇年楽しんだ。一日の日、万事談じ、又思わく一つの事情は、又々尋ねてくれるよう。
【説明】
(1) これからは世界に、種々の事情が現われるので、それを神一条の教えによって治めて行くところに、神の思惑の道があらわれ、世界が治まって行く。
【摘要】
世界の事情という言葉は、いろいろの意味に用いられる。一般的に言えばうちとせかいという対照において、対外的問題として対処すべき事情である。しかし、ここでは、もう少し限定して、世界にあらわれてくる大事情といった意味で用いる。  世界の事情は、親神のざんねんの現れとして、自然現象と社会現象とに分けて見られる。このうち自然現象については、この教理研究では「教会生活の出来事」および「教政」で研究されている。  社会現象については、いろいろの事情が見られるように考えられるが、ここでは戦争に関するものと、世界事情に対処する心構えを教えられた、とみられる刻限のお諭しの若干を挙げた。 (1) この世界を治めているのは親神であって、その思惑は神一条の道・たすけ一条の道(つとめやさづけ)によって成就されていくのである。 (2) 神一条の精神によって事情を治める。 (3) 心のほこりを払い、心を澄まして親神の思召しのままに対処する。 (4) 事情は旬によってあらわれるので、その旬の理によって事情を見る (5) どんな困難なことが起きても、爼板とも台ともなる、という大きな心構えでなければならない。そのためにはたすけ一条ということを、よく理解する必要がある。 (6) 事情をいかに見るか、いかに対処するかということについては、おふでさきに書いてある。

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