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教祖五年祭御願の後にて引き続きおさしづ

さあ/\一寸休み、又一寸休み、身上の処障り付け、話し掛ける。どんな話、刻限以て話す。尋ねての話、二つの理を聞き分け。刻限というは、どういう事と思う。違わんが刻限。刻限の話を聞いて、何も彼も運び、これから十分のさんげさして来た。仕難くい処もいろ/\話しても、理が分からねば何にもならん。身上に障りあれば、どうでもこうでも話さにゃならん。むさくろしいものは、掃除せにゃならん。可哀そうな事や。もう/\頼もしい道が見えてある。なれど、めん/\心よりする事はどうもならん。今の道を見て居りゃ、うまいものと思うやろ。取次何人、なかなかの道である。長らく通りた道筋、いつ/\までも皆残る。あゝ帰ったか、早かったなあ、どうやこうやと言うが、なか/\の理である。これまでの処、難儀苦労の道を通り来た。よう聞き分け。蒔いた種さえ、よう/\の事で生えんのもある。蒔かぬ種が、生えそうな事があるか。根性の悪い話すると思うやろ。だん/\に土台を入れて固めてある。なれど、あちらが弛み、こちらが弛みする。四方正面鏡やしきという理が明らかなれば、何が弛もうに。これよう聞き取れ。いつ/\の理に楽しんでくれるよう。
【説明】
(1) 道を通る上において、むさくるしいものがあれば、可哀想だが掃除をせねばならん。もうそこには頼もしい道が見えているのに、各自勝手な心遣いをしていては、それさえわからないのである。今の道の姿を見ていれば取次人もこんなに何人もいて、本当に結構な道になったと思うであろう。しかし、それも容易ならん中を通って今日の道になったのあり、その理はいついつまでも残るのである。今では「あー帰って来たか、早かったなあ」と、互いに喜び合える賑やかな姿になったが、これまでには難儀苦労の容易ならん道があったことを忘れてはならぬ。この点よく聞き分けよ。折角蒔いた種でさえ、なかなか芽生えぬものさえあるのに、蒔かぬ種が生える道理はない。「何ときついことを言われる」と思うかもしれないが、この道は誠真実という土台を固めて、今日の道になってきていることを知らねばならない。ところが、ついつい油断をするから、あちこちと真実の土台にゆるみが出てくる。それではならんので、このやしきが四方正面鏡屋敷という理を治めていさえすれば、決してゆるむことはないのである。この点をよく聞き取り、いついつまでも楽しみの道を通ってくれるよう。
【摘要】
教祖の年祭についての思召しは、おさしづの随所に出ているので、ここに挙げたのは、そのほんの一部である。これらのおさしづによって、一貫してお諭しくだされている要点は、次の点にあると悟れる。 (1) 年祭を勤める根本の精神は、人間思案を捨て、神一条にたちきること。 (2) 年祭は単に年限が来たから勤めるというのではなく、道全体、また道につながる一人々々の成人の旬である。 (3) したがって年祭を勤めるについては、決して形の上にのみ心をとらわれるのではなく、神一条の心定めこそが肝要である。 (4) それには道の者一人々々が、しっかり教祖のひながたに帰り、その実践こそが日々の目標となる。 (5) それには日々に勇み心を持って、しっかり喜びの理をぢばに運ぶこと。

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