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梅谷四郎兵衞長男梅次郎十五才教祖五年祭に付本部に十四五日居る間に目の障りに付伺

さあ/\身上に一つの事情心得んという事情、さあ/\十五才までは親の事情、何か万事聞かして置かにゃならん。何か心に理がある。いかなる話聞かし、生涯の話聞かし、何か心治めさゝにゃならん。万事聞かして、一つ/\話聞かしてくれるよう。何か万事又々一つ/\。
【説明】
梅谷四郎兵衛、船場大教会初代会長。 十五才までの身上は、親の事情であるから、親からよく生涯の話をきかして、子供の心を治めささねばならんという意味で、目の障りは親が子供の将来を考えてみて案じ、または子供が自分の将来のことを考えてみて、案じてはいけないと指示されたのであろう。
【摘要】
要約 目に関するおさとしは多い。おさとしを読みつつ痛感することは、ふじゆうなきようにしてやらう かみのこころにもたれつけ 九下り目 2 のお歌である。信心の要は、親神の心にもたれつくことであるが、実はこれが容易なことではない。人間思案の特色、それは案じ心であろう。目のおさとしの中心となるのは、案じ心を捨てよということである。具体的に云えば、子供の将来について、世間と見較べて、家内のこと、また教会内の事情を見て、あんじてはならぬとされている。更に、他人の欠点は見るな。親不孝をするな。因縁の自覚をせよ。お屋敷の理を明らかにせよ。などの例があるが、要するに、目は見るものであるが、それを悪用して人間思案におちいることなく、どこまでも、理を見つめて各自のいんねんを自覚し、親神にもたれて行けという意味のおさとしで、 なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする 三下り目7 というお歌の意味を、真に納得できれば、御守護いただけるであろう。身体に備わった九ツの道具は、陽気ぐらしをするために、親神様よりお貸し頂いていることを忘れてはならない。陽気ぐらしのできるように使っていけば御守護をいただけるのである。ところが欲の深い人間は、それを使ってかえって心をいずませ、不足するようになりがちである。

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