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平野トラ身上に付願

さあ/\身上一条事情を尋ねる。心得んという、どういう理と思う。身上に心得んと言えば何か間違う。いかなる思やんすれど、身上心得んという。内々にはそれそれ万事治まる事情は、世界それ/\の先、未だ/\の先、いろ/\どんな人、幾重日々入る出る中の処、気にも心にも掛かる。どんな事情ある。難しい事情は尋ねる。尋ねるからは諭そ。これからは多くの中、人々という理を以て集まる。付き集まる。年まあよく聞き取れ。いかなるも皆、育てば育つ、育てにゃ育たん。聞いて成程の理も治まる。それ/\の談示、まあ遠く近くの理は無い。どんな理も一つの所へ持って来る。日々入り込む中に、事情見分けにゃならん。この道は聞けば聞く程難しいと言う。難しいやない。心の理が難しいのや。これまでの処は、成らん事情を運び来た。育てるというは、心だけの理を以て育てる。持ち込む、持ち出す事情、成る処にも成らん事情がある。成らん処にも成る事情がある。成らん事情は未だ年限の理が来るという。よう聞き取れ。先々の事情、心治まれば治まる。これだけ諭し置こう。
【説明】
(1) 平野トラ姉 郡山初代会長平野楢蔵氏夫人。 トラ姉は楢蔵氏が本部員であり、かつ郡山分教会長として教会を外にして活動することが多いので、もっぱら分教会にあり、日々寄りくる人々を導き育て教会を治めていく役目を負った。実子のなかったトラ姉は、この重責を担い表に苦心した。 (2) これからは教会に、どんな人も出入りする。しかし、どんな者も皆育てば育つ。育てる真実の心がなければ育たない。遠い近いにかかわらず、どんなことも一つの所へ持ってくる。その場合日々入り込む者の各自の事情を見分けてやらねばならぬ。この道は聞けば聞くほど難しいというが、難しいのでなく各自の心違いが難しいのだ。これまで、ならん中を通って来た。育てるというのは、真実の心をもって育てるのが大切で、持ち込みになる者も持ち出しになる者もある。成ると思った所に成らん事情が起こり、成らんと思った所に成ることがある。成らん事情は、これから先年限の理で成ってくるから、心を治めて真実の心をもって育てていってもらいたい(「郡山大教会史・その一」参照)。
【摘要】
後継者については、先に教会の項で取り上げた。しかし、そこでは教会担任後継者の選任について述べた。ここでは教会子弟ならびに一般子弟の後継者養成の問題について考える。  子供や青年子女を道のよふぼくとして育てるには、親あるいは道の先輩たる者は、どういう心遣いや通り方、導き方をしなけれならぬか、この問題についておさしづに現れた神意はどうであるか。この点に関するおさしづを検討すると、次のような点が強調されている。 一、 道の信仰は幼少より仕込む必要があること。 (1) 相応の年になってからは世間のことに心煩わす、そうなってからは信仰の道につきにくい。子供の時分から道の信仰にしむけていけば順序がわかる。信仰の根を養うようにしてもらいたい。 二、 導き育てる者の心がけ。 (1) 育てる者は真実の心がなければ育たない。親が怒っては子供は育たない。 (2) よふぼくに育てるには年限がかかる。気長に導いてもらいたい。それには修理肥えが必要である。 (3) 幼年・若年の者を粗末に扱うことなく、幼少の者ほど、わが子より大切という心で育ててほしい。言葉一つにもよふぼくを育てる力があるから、注意して導いてもらいたい。 (4) この道は一代の道ではなく、末代の道である。理の親子も、肉親の親子も、親となり子となるいんねんによってなるものである。 (5) 心の磨き合いに当たっては、義理や体裁で治めることはしないでほしい。低い心で人のことを、自分から先に立って行うひのきしんの態度が根本となる。 三、 導かれる者の立場。 (1) とかく若い者は未熟であり、勝手な心遣いをすることがある。親があるので子がある。という理を考えてもらいたい。親の理を忘れては道とは言えない。若者が神の話を知らぬようではならぬから、しっかり仕込んでおくことが肝心である。

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