おさしず検索


本席御出立の願(御供、梶本松治郎、高井猶吉、平野楢蔵、増野正兵衞)

さあ/\尋ね返やしたる処、又事情改めて一つ、さあ/\話々、たって一つまあもう心得まで/\。よう事情心得置かねばならん。どういう事であろ。これだけ/\の事なら。事情思うであろ。事情聞き分け。事情に何度の事情もある。一代一度の事情、明日より連れて立つ処、どんな事情あれど、幾日々々と日を切らず、幾日ほんに聞いて居れば何でも無い、何でも無い。よう聞き分けば分かるであろう。
【説明】
(1) 本教は当時、神道本局三等教会に列せられていたところ、四月に一等教会に昇格することになり、東分教会では教祖五年祭を盛大に勤めたので、本席を、ぜき東へお迎え申したいと上原佐助会長はお願いした。三月二十八日のおさしづでお許しがあり、お供として三名なら三名、四名なら四名許そうとのお言葉をいただいた。いよいよ出発前日の三月二十九日おさしづを願った。 (2~3)翌日より出向くのであるが、東分教会で本席一代のうち、ただ一席の事情が起こる。しかし、どんな事情が起ころうとも幾日と日を切る必要はない。なるほどと心治めて通れば何ともない(「東大教会史・第一巻」参照)。  この事情というのは、東分教会の所在する地所にせい水のさづけを戴くという前代未聞の出来事が起こったことである。四月五日東で昼食後本席の様態が急変し、おさしづを取り次がれるときの状態になった。ぢばを離れておさしづを取り次がれることは、かつてないことであり、かつおさづけは一名一人の心に授けられるはずなのに「この処」へ授けられた。東分教会の名称の理の所在する地所に授けられたのである。四月五日のこの出来事既に一週間前に予告せられた。このあと一行は四月七日朝山名の方へ出発された。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。

TOP


お道のツール