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大阪真明講分教会出願事情に付出張願

さあ/\/\尋ねる事情/\、事情理を尋ねる処/\の事情、皆許してある。一時許してある。処が自由に成る成らん分かろうまい。どういう事と思う。皆許してある中に、自由成る成らん同じ一つの理。どういうもので成らん。先々の処、又々の事情後は先、元という。何でも元は早いと思うやろう。元という、どんな事も善き理もどんな理も元にある。なれど事情自由に成る理を運んで、成る成らんどんな事情も元に留まってある。今一時尋ねる処、もう旬々の道であろうか、理であろうか。治まろうか早いかどうかと尋ねる。じっとして居ればじっとして居るようなもの。見れば一つ聞けば一つ、追々の道は所々では分かるやろう。それより事情は一つ一時始め掛けるがよい。さあ/\始め/\。理は許す許さんは無いで。所々の理を聞いて成程という理を持たにゃならん。さあ/\掛かれ/\。
【説明】
(1~2)分教会設立については、おぢばから同じ一つの理の上から、それぞれお許しを戴いている。所により、その設立の具体的な運びが思うように進まないというについては、事柄の元をよく思案し、心の治まりをしっかりつけてかかることが大切である。理の上から分教会設立は鮮やかに許されているのであるから、安んじて而してそれぞれの所に見せられる理を通して、成程と得心させてもらってかかることが大切との意味で、ここには次に掲げるおさしづと共に、この種の事情・問題に際しての思案の仕方を懇切に仰せられていると申せよう。
【摘要】
分教会設立および支教会設立等にかかわるおさしづは、全部ということになると随分たくさんの数となるのであるが、ここでは約十ヶ所ほどの教会の場合についてうかがうこととしたに過ぎない。  この関係のおさしづでは、年次ののちの頃のものになると、その伺いに対して教示くださるおさしづのお言葉が非常に直截、簡潔なものとなっているのが大部分である。もちろん、その簡潔なお言葉の中に、事柄の核心が明確、簡明に教えられていることは、そのおさしづそのものを、よく味読させていただくと納得させていただけるのであるが、ただこの、それぞれの教会設立ということに関して、比較的に言葉も豊富に、また、それだけに納得させていただくべき心得というものが、割合詳しくうかがえるのは年代的に初期の方のおさしづであろう。  そうしたところから、ここに、その例としてみさせていただくこととしたのは、叙上の比較的初期の場合の、それ(教会数にして約10、伺いの件数にして約三〇)としたものである。  さて、叙上の教会設立にかかわるおさしづは、その伺いの件数からすると、ほぼ次の二つに大別できると申せよう。 一、 おぢば、教会本部から教会設立の理のお許しを戴くについて伺い、そこに教会名称の理について、また教会設立についてお教えいただくこととなっているもの。 二、 本部から理のお許しを戴いたのち、いわゆる世界、地方庁等からの認可を得る問題に当面しておさしづを伺い、そこに、かかる現実の問題をふまえながら、教会名称の理について、また、かかる教会設立について心得べきことをお教えいただくこととなっているもの。  かくて、叙上の伺いの点で二つに区別してみられるおさしづのそれぞれを通じ、そこにお教えいただくところを要約すると、次のように申せよう。 (1) 国々所々の教会の名称は、ぢばの理・教会本部があって、そこに初めて成り立っているものである。 (2) 教会は何にもまして、神一条の精神を世界・世上という現実の世界に映してゆくところであり、その使命をもつところである。それは、親神による元創め出し、教祖によるたすけ一条の道、しかしかかる脈絡の中に連なる今なる教会の使命でもある。 (3) かくて、その上で教会設立を願い出るについては、これまで既に一つの道の理を聴かせていただいて、真実な心をもって通らせてもらってきたという心の理が大切であるが、更にこれから先も変わらぬ真実をもって、運ばせてもらうという心を定めることが大切である。 (4) また教会の設立は、寄り合い、願い出るもの一同が一つの理によく談じ合い、皆の心の理が合ったその上に許されるものである。 (5) なお、その設立の具体的な進め方として地方庁認可の問題などあるが、その場合いたずらに、いわゆる世界のことに心奪われ、あるいはとらわれてしまってはならない。 神一条の道の理の上から於お許しを戴いたという、その理を確かに心に治めて、その上に立って事に処してゆくことが大切である。暇がいったら暇がいったで、道の理の上から、そのことを通してなるほどと受け取らせてもらうような態度で処するあり方が肝心である。

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