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増野正兵衞咽喉詰まるような障りに付伺

さあ/\身上の処に、どうかどういう事情、一つ身に一つの障り、どういう事である。尋ねる事情、どんな事もこんな事も皆んな一つの身に掛かる。身に一つの事情というは、何でも彼でも凭れる。それ、めん/\も長らえての事情であって、身の処どんな事もこんな事も身に掛かる。掛かりたどんな処が思案要らん。どんな事ありても一つの理である。安心して事情どうであろう、身に一つ案じる理は、一つめん/\掛かる/\はどういう事、どんな事も、どんな事情でも掛かる。何ぼ掛かりても、寄せ/\の理も掛かる。他の事情も掛かる。掛かりても神が皆治める。めんめん日々これはと思う。どうなるもこうなるも思う事情、どんな理でも一つの理やと思うよう。これだけ諭しよう。道という道は定めたるによってさしづと言う。さしづの道通りて間違う事は無い。万事細こい話に諭しよう。長い年限であったらどうであろうと言う。どうであろう/\と言うて、どうでもさしづの理。一時は一つどうなろうと思う。大きいは大きい、小さきは小さき。大きい持って今日もなあと言う。今日もなあと言うて、これだけ諭すによって。
【説明】
長い年限の中には、どうであろう、どうであろうと心配に思う日もあろうが、どうでもさしづの理を治めよ。一時はどうなろうと思うであろうが、大きい心になれば大きな理をみせていただき、小さい心であれば小さい理しか見せていただけないのであるから、大きい心を持って、今日も結構やったなぁとたんのうの理を治めよ。という意味で、咽喉つまるような障りは、たんのうの理を治めよ。と指示されたのであろう。
【摘要】
咽喉は、口で咀嚼したものをのみこむところである。咽喉に関する身上さとしが、理をよく飲み込む(治める)こと特にたんのうの理をのみこむことを強調していられる点は、誠に妙味深い者があると申すべきであろう。

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