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芦津分教会設置に付地方庁出願の儀願

さあ/\まあ一時思う処、重々これまでの処、どうでもならん事情、理は皆んな同じ事情許してある。どういう事であろう。それ/\順々十分の処、一度の処、二度順序ばかり速やかに一つの理を以て運び掛けるよう。又一つ諭しよう。どういう事でならんと思わずして、順々の理を心置き無う運ぶがよい。

押して梶本松治郎出張願
さあ/\心ならん一つの事情、めん/\それ/\一名事情以て運ぶ。一つ一日の日を以て、ぼつ/\掛かるがよい。

皆の者思案の内に
さあ/\暇が要りたで。案じる事は要らん、案じてはならん。暇が要りたで。案じる事は要らんで。
【説明】
(1~2)分教会設立については、おぢばから皆同じ一つの理が許されている。それでは、その後の運びが思うように進まぬのはなぜであろうと思うだろうが、大切なことは、教会を設立させてもらうについての神一条の理をしっかり心に治めてかかることである。しかも、いたずらに、どうしてならんのかと心とらわれることなく、順々の理をもって運びかけるがよい。 芦津の教会が教会設立のお許しをいただいたのは明治二十二年一月十五日であるが、その後地方庁認可の問題について、約二年間紆余曲折の時期がある。この間にいただかれた一連のおさしづは、叙上の如く味わい深い教示となっているが、その大意は、地方庁の認可が困難であるということによって、そのことにとらわれ、また先案じをしてはならない。おぢばから分教会設立の理は許されているのである。肝心なことは、この理の許されていることについて、神一条の道の一つの理をしっかり心に治めることである。また、その上に立って内々談じもし、治まらねばならぬところはよく治め、なおかつ見せていただく事態については、なるほどという理の徳心をもって進めてゆくことが大切である。
【摘要】
分教会設立および支教会設立等にかかわるおさしづは、全部ということになると随分たくさんの数となるのであるが、ここでは約十ヶ所ほどの教会の場合についてうかがうこととしたに過ぎない。  この関係のおさしづでは、年次ののちの頃のものになると、その伺いに対して教示くださるおさしづのお言葉が非常に直截、簡潔なものとなっているのが大部分である。もちろん、その簡潔なお言葉の中に、事柄の核心が明確、簡明に教えられていることは、そのおさしづそのものを、よく味読させていただくと納得させていただけるのであるが、ただこの、それぞれの教会設立ということに関して、比較的に言葉も豊富に、また、それだけに納得させていただくべき心得というものが、割合詳しくうかがえるのは年代的に初期の方のおさしづであろう。  そうしたところから、ここに、その例としてみさせていただくこととしたのは、叙上の比較的初期の場合の、それ(教会数にして約10、伺いの件数にして約三〇)としたものである。  さて、叙上の教会設立にかかわるおさしづは、その伺いの件数からすると、ほぼ次の二つに大別できると申せよう。 一、 おぢば、教会本部から教会設立の理のお許しを戴くについて伺い、そこに教会名称の理について、また教会設立についてお教えいただくこととなっているもの。 二、 本部から理のお許しを戴いたのち、いわゆる世界、地方庁等からの認可を得る問題に当面しておさしづを伺い、そこに、かかる現実の問題をふまえながら、教会名称の理について、また、かかる教会設立について心得べきことをお教えいただくこととなっているもの。  かくて、叙上の伺いの点で二つに区別してみられるおさしづのそれぞれを通じ、そこにお教えいただくところを要約すると、次のように申せよう。 (1) 国々所々の教会の名称は、ぢばの理・教会本部があって、そこに初めて成り立っているものである。 (2) 教会は何にもまして、神一条の精神を世界・世上という現実の世界に映してゆくところであり、その使命をもつところである。それは、親神による元創め出し、教祖によるたすけ一条の道、しかしかかる脈絡の中に連なる今なる教会の使命でもある。 (3) かくて、その上で教会設立を願い出るについては、これまで既に一つの道の理を聴かせていただいて、真実な心をもって通らせてもらってきたという心の理が大切であるが、更にこれから先も変わらぬ真実をもって、運ばせてもらうという心を定めることが大切である。 (4) また教会の設立は、寄り合い、願い出るもの一同が一つの理によく談じ合い、皆の心の理が合ったその上に許されるものである。 (5) なお、その設立の具体的な進め方として地方庁認可の問題などあるが、その場合いたずらに、いわゆる世界のことに心奪われ、あるいはとらわれてしまってはならない。 神一条の道の理の上から於お許しを戴いたという、その理を確かに心に治めて、その上に立って事に処してゆくことが大切である。暇がいったら暇がいったで、道の理の上から、そのことを通してなるほどと受け取らせてもらうような態度で処するあり方が肝心である。

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