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平野楢蔵背の出もの障りに付伺

さあ/\身上に事情一時迫る。些かと思う。どういう事であろう。皆もう身に堪えられん。何か運ぶ理が取り損い。取り損えありてはこれまでと言えまい。間違えばこれまであろまい。そこでどれのさんげ、身の障りの理というは、よく聞き分け。もう一度という理があろまい。一寸という理があろうまい。一度はこれがな、という理が変わる。一寸自由ならん。それから心寄せ無くばなろまい。一人事情見て、それ/\事情、一時一寸はどういう事とばかり思うて居る。これ一つ堪えられん事情、一寸万事事情に留まる。これまで伝えてある。急いてはならん/\。急かず急かず追々という。追々というは積んだるも同じ事、自由ともいう。急く。これからこれと言えば、どうと受け取る処聞き分け。急いだて身上迫る処から聞き分け。身に案じは無い。長う/\かと、大層思わずに、身上救かればいつ/\まで一つ。めん/\聞く処無い。治める処、受け取る処無い。これよう聞き取りてくれねばならん。
【説明】
平野楢蔵、郡山大教会町初代会長。 何かと運ぶ段取りそこなって、勝手の理を運んだのは、これまでに運んだという効能の理とはいえないであろう。又間違って運んだのであれば、効能の理とはならないであろう。そこで、身上の障りの理をよく聞き分けて、十分さんげをせよ。もう一度繰り返してはならないし、又一寸間違っても勝手してもよいということはないであろう。という意味で、背の出ものは、理の取りそこない間違いをしてはならない、即ち勝手の理を運んではならないということを指示されたのであろう。勝手の理は、万つなぎの理(くにさづちのみことの守護の理)に反することになる。
【摘要】
腫れ物については、「ふくれる」という症状との関連からであろう。「ふくれつら」をしてはならない。即ち不足をしてはならない。ということを戒めていられる。腫物は、皮膚がはれ、やがて破れるものであって、くにさづちのみことの守護(皮つなぎ、金銭、縁談、万つなぎの守護)が切れることである。”不足は切る理”というお言葉と一緒に思案さしていただくと、よく了解されるであろう。不足は結局自我をつっぱりすぎるからで、皮膚の病の場合は、月よみのみことの守護(骨つっぱり、万つっぱりの守護)を照らし合わして思案さしていただくことが大切であろう。

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