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増野正兵衞本日中山会長御住居古家取り払いに付二階建ちに立ち退きの後、屋根より飛び下り右の足を挫き痛め障りに付願

さあ/\尋ねる処/\、どうも尋ねようにも尋ねられん。一つの理、運ぶにも運ばれん。一つよく聞き分け。かたなえて事情、内々処に、あちらこちら身の障り。尋ねるからは諭してある。諭というは、何度に諭してある。内々家内一寸は結構に思うやこそこれまで運ぶ。これも余儀無き道、一時成ろうか万事の処、内々一寸掛かりという。前年思えば一寸半端、事情聞き取りて内々治め。遠く事情といえど幾重の道もある中に、事情はいんねんの理、心に治めてくれ。いんねんというは、どれがいんねん、何処と出生して、何処に納まる。又候いんねんならばという処/\と十分と思うやろう。いんねんの理を以て生涯という。よく聞き分け。聞きよう、取りようでころりと間違う。世上のいんねんというは、幾重のいんねんもある。勝手知らずして、その場/\一夜という、一時という。世上見てこれでこそ、とたんのう治めにゃなろうまい。世上あたゑを以て十分と言えば十分。生涯の心と治めて、やれ/\と生涯の心治めてくれにゃならん。これよう聞き分けてくれ。
【説明】
増野正兵衛、本部員。 事情はいんねんの理を心に治めてくれ。いんねんというのは一体どんなことがいんねんかとおもうであろうが、何処に生まれて何処におさまるというのが、いんねんである。又、いんねんならば、何処に治まっても十分と思うであろうが、生涯いんねんの理を心におさめて通れという意味で、右足くじき痛め障りは、いんねんの道を踏みあやまることのないようにと指示されたのであろう。
【摘要】
足は歩くものである。従って、足に関するおさとしが、信仰の道を、即ち神一條、たすけ一條の道を踏みはずさずに、勇んで通ることに関したものであることは直ちにうなずけることでもあろう。而して勇んで通るにはいんねんの自覚が大切である。いんねんを自覚して通る心は、たんのうの心ということが出来る。たんのうの心に先案じがあってはならぬ。又たんのうは単に自分がたんのうするだけでなしに、相手にもたんのうしてもらうようになってこそ、本当のたんのうということが出来る。先案じせず、日々をたんのうして、理をふみはずすことなく、一條に信仰の道を歩くところに、足の病をおたすけいただく根本があろう。理の運びを速やかにする時、速やかに足の病をおたすけいただく御守護がある。

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