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山沢ミキノ上げ下だしに付願

さあ/\尋ね返そ。尋ねる処どうもならん。尋ね刻限の話、刻限の諭、事情中、尋ねにゃならんから尋ねる。何度尋ねる。あちらの子供、こちらの子供、万事一時又事情分かり難ない。小人夜々、昼は十分勇んで、夜になると上げる、下だる。夜々一つの事情、どういう事、よく聞き取らにゃならん。昼は昼とて、夜といえば一時小人変わる。あちら変わる事情理諭し、間違わぬよう、よく聞き分け。どういう事でどうして、こうして、あちらの理が分からん。昼という事情、快う、潔う、夜々何たる事情。昼あちらの事情手が入る、夜々何か万事運ぶまい。親々事情、万事日日の事情、昼とてあちらへ走り行き、こちらへ走り、誰々事情、一日の日事情起る。たゞ一人の事情あろまい。親々どういう事である。あちらこちらから万事聞き取りて置かねば分からん。二人親々今夜々々々々もせくやら、何でと思うて居る。夜々の処、小人たる処の理、親々の昼の中、又々それじゃ知らず/\日を送り、順序理にあかるであろう、さしづ通りやで。
【説明】
山沢みきの、本部員山沢為造息女。 子供が昼間は十分元気であるが、夜間あげたりくだったりする。夜間具合が悪くなるのは、どういう事のためか、十分理解しなければならない。 昼間は、心良く、いさぎよく働くので、夜間は疲れてつい不足が出、昼間あちらの事情に手がいるために、夜間つい万事について運ぶまいとする親の心のために、子供の身上にお手入れをいただくのである。という意味で、夜間子供のあげくだしするのは、夜間に於ける親の不足のためであるということを指示されたのであろう。 \n\n (1) 山沢ミキノ姉 本部員・山沢為造氏二女。 (2) 子供が昼は元気に勇んでいるのに、夜になると上げたり下したりする。これはどういうことであるか、よく聞き取らねばならない。 (3) 昼間は快く潔く立ち働くので、夜は疲れが出てつい不足が出る。昼間あちらこちらの事情のため手がいるので、夜は万事について運ぶまいとする親の心遣いのため、子供の身上の手入れをいただくことになるのである。
【摘要】
上げ下だしについては(1)理を治める(2)特にたんのうの理を治めることをさとされている場合が多い。上げ・下だしすれば、栄養を失うのであるが、我々としては、身体の栄養もさることながら、心の栄養を失わないようにするために、理、特にたんのうの理を治めることの大切さを忘れてはならない。 \n\n  子供に関するおさしづを検索すると、次のような点が指摘されている。 一、 親と子の関係 (1) 子供は先祖の魂の生まれ更わりである。親が子となり子が親となり、互いに恩の報じ合いをして通るのである。  山沢さよ姉は祖母に当たる梶本ひさ姉の生まれ更わり、永尾たつゑ姉は永尾家三代前の母の生まれ更わり、増野道興氏は祖父庄兵衛氏の生まれ更わりである。  なお前生いんねん果たしができていなければ、そのいんねんを今生に持ち越す。また親がいんねん切りの道を通れば子供はしあわせになる。親がたすけ一条の道を通らなければいんねんは切れない。 (2) 嗣子はいんねんによって結ばれる。よい子を持つも、よくない子を持つも、すべていんねんによる。 (3) 子供は先祖から受け継いだ理を享けて通るものである。ただ一代限りだと思ってはならぬ。理は末代である。 二、 子供とは (1) 子供は各自持って生まれた徳分を持つ。子供が幾人いても神が引き受ける。 (2) 子供は十五歳まではおやのいんねん、すなわち十四歳以下は親のいんねん、先祖代々のいんねんを担うものであり、十五歳以上は本人の心遣いによる。現在教会本部で戴くおまもりは、十四歳以下は子供おまもりを戴く、十五歳以上は大人のおまもりを戴く。 (3) 子供は宝である。仮に今は宝のように思えなくとも、将来かけがえのない宝である。 三、 子供の身上 (1) 子供の患いは一家中の患いである。 (2) 子供の身上は、親の心遣いの投影である。山沢ミキノ姉の上げ下し、永尾たつゑ姉や梶本ミチ姉の夜泣きは、親の心の投影であると言われる。 (3) 子供の身上より心を定めよ。子供の身上は精神定めの台である。小児深谷景三の身上障りを通し、河原町分教会の事情定めによって、甲賀・水口・湖東の分離昇格が打ち出された。山名分教会の諸井政一氏の身上によって後継者問題が再確認された。 (4) 親にとって子供は可愛いものである。わが子の身上を通し、理の親たるの心をしっかり定めるよう。 四、 子供のない場合 (1) 子供の授からないのは前生いんねんによる。与えられた境遇をたんのうして通ること。 (2) 子供があたわらないのは自分らに、そのあたえがないからであり、しっかり徳を積むよう。 (3) 道を通れば理の子供があたわる。心に思い残すことのないよう勇んで通ること。

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