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高安分教会部内各講名を取り消し、光道講と改名の御許し願

さあ/\万事の処は尋ねにゃ分かろうまい。尋ねるからさしづ。さしづを以て日々という。何処までも一つの心、一つの心に集めるという。集まる理もあれば集まらん理もある。そこで心という、心だけの理という。一手一つと言えば、寄らん理は行こまい。頼もしい嬉しいという心を日々受け取る。心の理だけ寄せるがよい。

押して願
さあ/\寄るだけの心、心だけの理。どう思えど寄る心の理だけ一つに寄せてくれるよう。成るよう行くよう、頼もしいという心の理を受け取る。何処から見ても頼もしい、嬉しいなあというだけの理を受け取る。心得まで又諭し置く。
【説明】
(1) 元来、高安分教会は河内一円に散在するたくさんの講を集めて教会を設置したから、分教会設置後も在来の講名を使用していた。しかしこのままでよいかどうか明治二十四年九月二十四日神意を伺うと、「名義事のわかるよう。早く重々願い通り、思わく通り運んでくれるよう」と、お言葉があったので講名の改名を願い出た(「高安大教会史・上巻」)。 (2) どこまでも部内各講の心を一つに集めるということが大切である。集まる理も集まらん理もあって容易でないが、まず心が最も肝心である。一手一つと言っても、心が寄らんようでは一手一つにならない。頼もしいうれしいの心で寄った理を日々受け取るのである。まず部内の心を寄せることである。 (3) 部内の心を一つに寄せてくれるよう。どこから見ても頼もしい、うれしいなあというだけに寄り合うた心の理を受け取るのである。
【摘要】
本項では(3)教会事情の中で上げた後継者、担任、移転、教会経営、分離、昇格、所属変更、制度、改称の各講で取り扱わなかった教会の治め方に関するおさしづを、ここにまとめてあげることにした。  お諭しの内容から見ると、上各項の補足的なもの、また重複すると思われるものもあり、内容的には、講名の統一、教会の焼失、財政的行き詰まりのふし、会長と役員、役員と部内教会長の軋轢等々、その事情も雑多である。したがって要約も、ほかの項目のごとく直截にまとめることは困難で、それぞれの事情に対する神意は、それぞれのおさしづの註に記したところであるが、取り上げたおさしづから、あえて治め方の共通点を大雑把に拾えば次のように考えられる。 (1) 教会の治め方は、まず心を一つに寄せることが肝心である。何人いても皆が、心を一つに揃えて事に当たるなら治まりがつく。 みんなが身も心も治め方の上に力をつくすことが肝心。 理の上から強引に治めれば、大抵は通れるけれども、みんなの心をつなぐことが大切である。 (2) 教会が治まらないのは、互いに真実の心がないからである。誠一条の真実の心があれば、どんな難しい事情も治まる。一人でも真実の心の者ができたら、その心に乗って親神は十分守護下さる。 (3) この道に手引かれた元一日の心、また教会の理を許された元最初の理を、よく心に治め、その精神を台として治めるよう。 (4) あちらこちらの言い分を聞いてばかりではいけない、ぢばの理をもって治めるよう。 (5) 人と人との間柄は、皆互いに諭し合い、親神の思召しを伝え合って、一つ心に持ちつ持たれつ、互いに、助け合っていくのが道理である。この心が楽しみの理となる。  会長・役員・信者の間も、それぞれ、会長があって役員・信者があり、役員・信者があって会長がある。互いに我を張るのは理に添わない。互いに持ちつ持たれつ、たすけ合って通るのが治まる元である。 (6) 事情治めには旬がある。旬をはずさないように治めるよう。 (7) 無理に一時に治めようとしても行けない。急いで一時に言いたてれば、かえって事情のもつれが大きくなる。日に日に勤め、今年いかねば来年と、天然自然の理で治めるよう。 (8) その時その場の一時の思い立った理で治めても、その場は治まるが、いついつまでも治まる理にならない。教えの理を十分に聞かし、真実精神の理を積むよう、それを台に治めにかかるよう。 (9) ふしは理の伸びる転換期である。ふしからよい芽を出すのは皆の心の理にある。ふしに勇み心を入れ替え、みんな心を一つに理に添うていくなら、いくらも理は伸びる。 (10) 教会を取り消されても心さえしっかり理につながっていれば、長い間ではない、すぐ復興の守護を戴ける。

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