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芦津分教会新築致し度くに付願

さあ/\尋ねる処、事情々々、理は十分許し置く。一つには心だけと諭し置いたる。どうしてこうして普請一条、心置き無う掛かるがよい。いつ/\までという心を持たず、ざあっとして置くがよい。普請ざあっとして、頼もしい心という理が第一である。事情は知らず/\出来て来る。誰言うと無くして心頼もしいという。十分の守護、普請一条委せ置くによって、心置き無う掛かるがよい。
【説明】
(1) 普請については、いついつまでにどうしなければならんというような心を持たず、ざっとしておくがよい。道の普請は、形の上に心とらわれるよりも、この事情を通して神一条の頼もしい心をつくることが第一肝心なことである。それさえできたならば、形の上の普請は知らず知らずの中にもできてくるようになる。
【摘要】
教会普請に関するおさしづは教会設立のおさしづほどではないが、全部となると、やはり相当な数になる。また中には、割り書きに「普請」と明記されていなくとも、叙上の郡山分教会のおさしづのように、教会長の身上を通して普請のおさしづをくだされているような場合もあり、一層数はふえてくる。そして、年次的に初期のおさしづの方がお諭しくださるお言葉も多く、お諭しくださる点も割合に詳しくうかがえるのに対して、後期になると、お言葉も少なく、非常に直截、簡潔なものが多いのは、設立に関するおさしづと同様である。  そうしたところから普請に関するおさしづも、やはり比較的初期のものの中から、いくつかを取り上げさせてもらった。  そこで教会普請について、心得なければならない諸点を要約すれば、次の通りである。 (1) 教会の普請は、人間思案を捨ててかからねばならない。 (2) 教会の普請は、一人や二人の力でできるものではなく、多くの者が一手一つに、神一条の心に心を結び合うことである。 (3) 教会の普請は、単に形の上で建物を建てるのではなく、その普請を進めることによって、めいめいの心を入れ替え、心の成人をさせていただくことである。そして親神は、そのめいめいの心の成人にふさわしい形(大きさ)をご守護くださるのである。 (4) したがって、いかなる計画を立ててみても、それが成るも成らないも、めいめいの心の成人次第である。 (5) 普請には普請をするべき旬がある。その与えていただいた旬をはずさず、理の伏せ込みをさせていただいてこそ、末代変わらない理を戴けるのである。

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