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中山教長身上総体しんどく左の肩に固まり出来しに付願

さあ/\/\いかなる事/\、尋ねる事情はこれ一つの事情、どういう事。身上身上一つ尋ねる処、いかなる処、尋ねる処、身の処尋ねにゃならんというは、いかなる事。これまでさっぱり知らん。これまでの道は難しいてならん。これ難しいによって、これまで幾重だん/\刻限の事情も諭したる。大抵々々の道は通れども、一つ分からん。知らず/\の中、これまで早く/\理が急ぐ/\/\。よう事情聞き分け。もうこれから何も思う事も無けねば、言う事も無い。道を道と聞き分けるなら、身上から、見て一つ聞いて一つの理を治めねば治まらん。遅れてならん。どうで心には嵌まろまい。心には浮かぶまい。何と神やしきの理を聞き分けるなら分かるやろう。

同時、引き続き御話(梶本松治郎連れ帰りての話)
さあ/\やれ/\/\/\、これ/\/\、さあ/\/\、やい/\/\/\、皆皆、さあ/\連れて帰ったで/\/\。やい/\/\聞いてくれ/\/\。これこれ/\、聞いてくれ/\/\、見てくれ/\/\。ウヽヽヽヽヽヽよ/\/\/\。さあ/\もう/\知らず/\/\やったわいな。残念な事や/\/\。そうであったか/\。さあ/\今のさまを見てくれ/\。さあ/\あちらなり、こちらなり、こちらなり頼むわよ/\/\/\。頼むわよ。

さあ/\ああ/\気を付けよ。今一つ物語り、前々事情を以て隠れたる。言うまでやあろうまい。すっきり/\/\/\/\と。


同日、引き続き刻限の御話
さあ/\ウヽヽヽヽヽ、さあ/\/\刻限々々を以て話し掛ける。刻限を以て話し掛ける。これまで/\というは長い道中、いかなる道、代々の事情/\、これまでこれまで/\事情を話し掛けるという。事情を話し掛ける。よく聞き分けにゃならん。第一事情の理を聞かそ。一寸には筆先にも尽されよまい。身上の理と、刻限の理と心の理、第一事情身上一条から事情立ち掛けるなら、いかなる理も治まるやろう。皆んな世上という理を思い、運ぶ処の理を思い、めん/\大きい取ろか思い思いの心、これまで何度口説き話、いかなる心の理というは、たゞ一時の理が分からんから是非々々の道を通り来たる。めん/\いかなる。俺はこうして居れど、代々の道は治めにゃならん。難しい事やない。始め掛けた道、知らず/\の道ほのかの処より始まりた道、筆にいろ/\尽したる事情話し、これから神一条の理、世界の理、さあどういう事定めながら捜さにゃ分からん道やあろまい。分からんから尋ねる。尋ねるから諭しよう。諭した通りの道を通るから、神の道。何箇年めん/\察したる話、これまで知らず/\の道やあろまい。どんな事情があれど、皆んな連れて帰る事情。しんばしらと言えば、一戸のものなら、世界の理から見れば、一戸一つの理に取る。なれど神やしき神一条の道、身の処心散乱さそうというような理で始めた道が、日々事情心言わず/\の理はあろまい。語らず/\の理はあろまい。世上から集めて取次という。取次なら話さにゃなろまい。神一条の事情なら神一条道が無けりゃなろまい。これまで善き事言えば善き事、悪しきの理も分けず、めんめん心という事情、神一条支配という。何度の事情も諭し置いたる。世上寄り来る。これから俺というめん/\心の理を持たず、諭する道を早く。これまで聞き損い取り損いやあろまい。めん/\心という理、だん/\一時の身上から聞き分けて、前前情の理を考え。これよりは内々すっきり思わん、構わん。それ/\寄せたる取次という道の処、早く心を寄せ。いかなる処も治め。十分大層又々内々へも諭してくれ。神やしきと言えば神という。神と言えば人間の理ではあろまい。尋ねば聞こえんやあろまい。一時早く定めてくれねばならん。うっとしいてならん。これは誰々とは諭されん。広く/\の心という。めん/\はこうという理は更々持たず、あちらが変わる、こちらが変わるようでは、一つの心とは言えようまい。すっきり改め替え。千里一跨げという。さあ/\事情早くという。
【説明】
中山教長様、初代真柱様。 今迄うっかり通ってきたが、これまでにさとした理の実行を急ぐ。この道は実行の道であると聞き分けるならば、もうこれから何も思う事もなければ、いう事もない。身上から見て、又おさとしを聞いて、一つの理を治めなければ、治まらない。おくれてはならない。という意味で、左の肩のかたまりは、さとされた理を実行せよと指示されたのであろう。
【摘要】
肩は荷物を担ぐところである。たとえ困難な事情があっても、それは成人の道すがらとさとり、将来を楽しんで、苦労を苦労とせず、自ら進んで重荷をたんのうして担え、とさとしていられることは、肩の役割と関連して、よく悟らせていただかなければならぬ。一言にして肩のさとしは、尽くし運ぶことー理の実行ーについてのものであると云えるであろう。これは、肩は物を担う処であることと関連して考えなければならぬと思う。尽くし運んですぐ御守護が見えればよいが、むしろすぐ御守護の現れないことが多い。それが将来への伏せ込みとなるのであるが、その時人間思案で迷うたり疑ったりしていずむ。そこを一段と尽くし運ぶところに、その人の真実があり、真におたすけいただく道が開かれるのである。

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