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高安分教会部内講社講名を光道講と致すようの願

さあ/\尋ねる処/\、尋ねる事情には、さあ/\これよう聞き分け。どうしてくれねばならん、こうしてくれとは言えん。同じ話伝え。一軒という理、よう聞き分け。一軒の内に何人暮らす。兄弟もあれば親子もある。一つの心から何名暮らす。難しい思うなれど、一軒の内に取りて、兄は兄、弟は弟、互い治まるなら、どんな理も治まる。兄であって身下の理聞かんならん。俺は兄や。兄なら泣く/\の理治めにゃならん、運ばにゃならん。何人暮らす中に、今日も頼しいやなと、又一名一人の中曇らす事もある。これ難しい。上やさかいに、下やさかいにと言うても、一つの理強きは随分通れる。なれど心だけ繋ぐなら、頼もしいという。心だけ聞き分け。よく心得諭するによって。

押して願
さあ/\心という理がある。これ泣く/\の理、聞かなくば下の理、これ聞き分けならんという理定めたら治まる。よう聞き分け。心の思たる今日もなあ、明日もなあと言うは、これ台とという。これだけ諭するによって。
【説明】
(1) 一軒の内を考えてみるがよい。一軒の内には何人も暮らしている。兄弟も親子も大勢いる。その治め方は難しいように思うけれども、兄は兄として、また弟は弟して互いに心を治めて通るなら、どんな理も治まるのである。 (2) 何人も一緒に暮らしているうちには、今日も頼もしい日であったなと思う一方、また互いの心を曇らすこともある。これが難しい。上やから下やからと言ってもめても、理の上から強引に治めれば大抵は通れるけれども、心をつなぐことが頼もしいのである。 これにより高安では部内の各講名を取り消し、光道講と統一改称し、第一号から第十八号までに分けた(「高安大教会史・上巻」参照)。
【摘要】
本項では(3)教会事情の中で上げた後継者、担任、移転、教会経営、分離、昇格、所属変更、制度、改称の各講で取り扱わなかった教会の治め方に関するおさしづを、ここにまとめてあげることにした。  お諭しの内容から見ると、上各項の補足的なもの、また重複すると思われるものもあり、内容的には、講名の統一、教会の焼失、財政的行き詰まりのふし、会長と役員、役員と部内教会長の軋轢等々、その事情も雑多である。したがって要約も、ほかの項目のごとく直截にまとめることは困難で、それぞれの事情に対する神意は、それぞれのおさしづの註に記したところであるが、取り上げたおさしづから、あえて治め方の共通点を大雑把に拾えば次のように考えられる。 (1) 教会の治め方は、まず心を一つに寄せることが肝心である。何人いても皆が、心を一つに揃えて事に当たるなら治まりがつく。 みんなが身も心も治め方の上に力をつくすことが肝心。 理の上から強引に治めれば、大抵は通れるけれども、みんなの心をつなぐことが大切である。 (2) 教会が治まらないのは、互いに真実の心がないからである。誠一条の真実の心があれば、どんな難しい事情も治まる。一人でも真実の心の者ができたら、その心に乗って親神は十分守護下さる。 (3) この道に手引かれた元一日の心、また教会の理を許された元最初の理を、よく心に治め、その精神を台として治めるよう。 (4) あちらこちらの言い分を聞いてばかりではいけない、ぢばの理をもって治めるよう。 (5) 人と人との間柄は、皆互いに諭し合い、親神の思召しを伝え合って、一つ心に持ちつ持たれつ、互いに、助け合っていくのが道理である。この心が楽しみの理となる。  会長・役員・信者の間も、それぞれ、会長があって役員・信者があり、役員・信者があって会長がある。互いに我を張るのは理に添わない。互いに持ちつ持たれつ、たすけ合って通るのが治まる元である。 (6) 事情治めには旬がある。旬をはずさないように治めるよう。 (7) 無理に一時に治めようとしても行けない。急いで一時に言いたてれば、かえって事情のもつれが大きくなる。日に日に勤め、今年いかねば来年と、天然自然の理で治めるよう。 (8) その時その場の一時の思い立った理で治めても、その場は治まるが、いついつまでも治まる理にならない。教えの理を十分に聞かし、真実精神の理を積むよう、それを台に治めにかかるよう。 (9) ふしは理の伸びる転換期である。ふしからよい芽を出すのは皆の心の理にある。ふしに勇み心を入れ替え、みんな心を一つに理に添うていくなら、いくらも理は伸びる。 (10) 教会を取り消されても心さえしっかり理につながっていれば、長い間ではない、すぐ復興の守護を戴ける。

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