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梅谷たね肩のこりに付願

さあ/\事情々々、身に一つあって尋ねる。前々諭し、よく/\事情聞き取って置け。長くの道であろう、長々の理であろう。これより日々月々の道を通り、一つの道という。前々日々の事情に諭し、越すに越されん、通るに通られん難渋の中もよう/\一つの理を集め、これまで運びあろう。身上一つの理、一時どう速やかならん事情/\、長らえ/\事情、先々頼む。一時の処、事情世上の事情急がしい。何でも/\身の一つの理は日々という。どうか一つの心、どうか一つの理という。一寸結構、あちら見れば一つの理、こちら見れば一つの理、眺める理、又一つの理も掛かる。これから先々日々急がしい、身の処急がしい。楽しみ深い、長い楽しみ、これからこれ十分楽しみなら、何も身に障りはあろうまい。それからそれ、内々と言えば日々や。やれ/\これ一つ諭し置く。さあ/\何も案じる事は要らんで。
【説明】
この道は末代の道であろう。又末代の理であろう。これから日々月々変わらぬ信仰をしてこそ、一つの道という事が出来る。 これから先々、日々いそがしいが、楽しみ深く、長い楽しみである。これから将来を十分に楽しむのであれば、何も身上にさわりはないであろう。という意味で、肩のこりは、日々を苦労と思わず、将来を楽しんで、尽くし運べということを指示されたのであろう。
【摘要】
肩は荷物を担ぐところである。たとえ困難な事情があっても、それは成人の道すがらとさとり、将来を楽しんで、苦労を苦労とせず、自ら進んで重荷をたんのうして担え、とさとしていられることは、肩の役割と関連して、よく悟らせていただかなければならぬ。一言にして肩のさとしは、尽くし運ぶことー理の実行ーについてのものであると云えるであろう。これは、肩は物を担う処であることと関連して考えなければならぬと思う。尽くし運んですぐ御守護が見えればよいが、むしろすぐ御守護の現れないことが多い。それが将来への伏せ込みとなるのであるが、その時人間思案で迷うたり疑ったりしていずむ。そこを一段と尽くし運ぶところに、その人の真実があり、真におたすけいただく道が開かれるのである。

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