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清水与之助絞り腹の願

さあ/\身上の処身の障り分かろうまい。さあいかなる話も聞き、どういう話何程聞くとも、今一時何か十分に開いた。そこでどうこうに成ろか、案じも更にあろまい。これまで誠だん/\の道を尽し、世上にて一時どういう道あろうが、前々の道ある。どういう処から世上の道危ない/\。往環一つの身の障り、昨日も今日も身の障り、ぢばへ身を慕う身の障り、悩む十分分かってあろう。世界の道分かろまい。世上だん/\ほんにあれが正であろうか。何か一時に揃うて出来たものはない。年年堅い/\ものでも天然自然に治まり付く。何時模様変わるも知れん。これもよう聞いて置かねばならん。世界分からん。なれど、一時に出けるものは無い。大丈夫な大きな道とも分からん。これまでの順序改め、先々の道改め。案じまいと思ても案じる。
【説明】
清水与之助、兵神大教会初代会長。 おぢばを慕う身であるのに、身上に障りをいただき悩む理由は十分わかってあるであろう。世界並からすれば、たすけ一條の道にでることは解らないであろうが、世間の者もほんにあれが正しいのであろうかとだんだんわかる時が来る。なんでも一時に揃って出来たものはない。現在ではかたいものでも、年を重ねて、天然自然にかたまったものである。しかしいつ様子がかわるかもしれない。これもよく聞いておかなければならない。この道は将来どれほど大丈夫な大きな道になるかもわからないが、今すぐにでけるものではないから、世間の人々に解らんのも無理はない。心配しまいと思っても心配するのは無理もないが、これまでの通り方、又これから先のみちをあらためてたすけ一條に専念せよ。という意味で、しぼり腹は、真にたすけ一條の道の理を腹にしっかり治め、実行にうつせということを指示されたのであろう。
【摘要】
しぼり腹とは、きゅうとしぼるようになる腹痛である。真剣な神一條の理の納得と、それの実践を、はげしくせきこまれているのである。

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