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永尾たつゑ身の障り願

さあ/\小人々々、小人というは心あれども、何しても仕様の無きもの、何にも余の儀外の儀はあろうまい、思うまい。さあ、この子は夜泣きすると思う。一夜の事ならよけれど、未だいかん。めん/\尋ねにゃならん/\。めん/\も多くの中運ぶ処、今一つの処、皆寄せてある。めん/\急いてはいかん。長くの心を持ちて、だん/\互いの心持ちて行けば、何一つのほこりも無い。この道天然自然の道やと思え。本年一つの理を見る。めん/\どうしてこうしてと、心に思わぬよう。天然自然の道やと思うて心に治めば、小人身の処もすっきり治まる。
【説明】
(1~2)この子は夜泣きするという。一度だけならよいが、そうではなくまだ治らないという。各自多くの人々と共に運んでいるが、いま一つ届かないところがある。親神は皆よく受け取っている。急いではいけない。長い心をもって互い立て合いの心を持っていけばほこりの心も積まぬ。この道は天然自然の道である。そのことを思うて心に治めて通れば、子供の身上はすっきり治まるのであろう。
【摘要】
子供に関するおさしづを検索すると、次のような点が指摘されている。 一、 親と子の関係 (1) 子供は先祖の魂の生まれ更わりである。親が子となり子が親となり、互いに恩の報じ合いをして通るのである。  山沢さよ姉は祖母に当たる梶本ひさ姉の生まれ更わり、永尾たつゑ姉は永尾家三代前の母の生まれ更わり、増野道興氏は祖父庄兵衛氏の生まれ更わりである。  なお前生いんねん果たしができていなければ、そのいんねんを今生に持ち越す。また親がいんねん切りの道を通れば子供はしあわせになる。親がたすけ一条の道を通らなければいんねんは切れない。 (2) 嗣子はいんねんによって結ばれる。よい子を持つも、よくない子を持つも、すべていんねんによる。 (3) 子供は先祖から受け継いだ理を享けて通るものである。ただ一代限りだと思ってはならぬ。理は末代である。 二、 子供とは (1) 子供は各自持って生まれた徳分を持つ。子供が幾人いても神が引き受ける。 (2) 子供は十五歳まではおやのいんねん、すなわち十四歳以下は親のいんねん、先祖代々のいんねんを担うものであり、十五歳以上は本人の心遣いによる。現在教会本部で戴くおまもりは、十四歳以下は子供おまもりを戴く、十五歳以上は大人のおまもりを戴く。 (3) 子供は宝である。仮に今は宝のように思えなくとも、将来かけがえのない宝である。 三、 子供の身上 (1) 子供の患いは一家中の患いである。 (2) 子供の身上は、親の心遣いの投影である。山沢ミキノ姉の上げ下し、永尾たつゑ姉や梶本ミチ姉の夜泣きは、親の心の投影であると言われる。 (3) 子供の身上より心を定めよ。子供の身上は精神定めの台である。小児深谷景三の身上障りを通し、河原町分教会の事情定めによって、甲賀・水口・湖東の分離昇格が打ち出された。山名分教会の諸井政一氏の身上によって後継者問題が再確認された。 (4) 親にとって子供は可愛いものである。わが子の身上を通し、理の親たるの心をしっかり定めるよう。 四、 子供のない場合 (1) 子供の授からないのは前生いんねんによる。与えられた境遇をたんのうして通ること。 (2) 子供があたわらないのは自分らに、そのあたえがないからであり、しっかり徳を積むよう。 (3) 道を通れば理の子供があたわる。心に思い残すことのないよう勇んで通ること。

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