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播州地方村方より信徒へ改式を止め、村方の付き合いと言うて信仰を止めるに付願

さあ/\通る道、一つの事情/\、幾重々々先通る。大変事情思う。にをいがけという。古き諭にある。一人の精神の事情あれば、一国とも言う。思う事は要らん。見てみよ。案じてならん。暗い所は通さん。あちらでこうじゃ、こちらであゝじゃ、談示一つ思うやろう。案じる事は要らん。だん/\始め掛けば一日々々、重々の理が積む/\。積んだ後というは、今までの道を通したも同じ事、身の内という理があるで。これ一つ聞き分けたら、何にも案じる事は要らん。心無う諭してくれ。
【説明】
(1) いろいろ複雑な事情の中を先に通る者は大変なことであろうが、にをいがけというものは古い諭しにあるように、一人の人が真実の精神を定めるならば一国にもにをいをかけることができる。 (2) だんだんにをいがけを始めるならば一日々々重い理が積み重なる。そして積み重なったあとというものは、今までの道を通したのも同じことで楽になる。身上かりものという理がある。これ一つ聞き分けかけたら何も先案じすることはいらん。
【摘要】
布教に関するおさしづは多くない。 これは、布教ということが当然のことであって、特におさしづをいただくべき事柄ではなかったためであろう。布教の心得を要約すれば次の通りである。 (1) 布教に行くのは暇つぶしに行くというのではなく、確乎たる精神が必要である。一人の人が真実の精神を定めることにより一国でも道がつく。 (2) 身上かりものの理を聞きわけて、親神にもたれ、いかなる所へも勇んで行き、先案じせずに通れ。 (3) 人間は月日親神の懐住まいをしているのであるから、どこにおっても同じこと。親神様、教祖がついているから心配はない。 (4) ふしがあっても精神を倒すな。再三再四道がつくまで頑張れ。ふしから栄えるのである。 (5) おぢばで勤めるのも地方で布教するのも、その人のいんねん次第である。 (6) いんねんによっては、布教に出たものも引き戻される。 (7) 教会長夫人は、よく教会の内部を治めてから布教に行け。治まらないままに布教に行くのはよくない。

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