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桝井伊三郎三日前より左肩抑えられる様になり、左足ねまるに付願

さあ/\身上に心得ん、道に心得ん。よう聞き分け。一つ諭し置こう。どうでもこうでも治まる事情、治まらん事情、日々これ一人事情、大変事情、切るに切られん、退くに退かれん事情。近くとも言われん、遠くとも言われん事情。これさい一つ治まればという。一人々々人々の事情聞き分け。これ聞き分けば鮮やか、どちらからでも掛かる、又々理が治まれば、順々の理も治まるとさしづして置こう。
【説明】
桝井伊三郎、本部員。 大変な事情、きるにきられん、のくにのかれん事情、近くにも云われん、遠くも云われん事情、これさえ治まったらという。一人々々人々の事情を聞き分けよ。これ聞き分けたらあざやかに治まる。どちらからでも事情治めにかかって行け。という意味で、左肩おさえられるのは、事情治めに進んで肩を入れよ、ということを指示されたのであろう。 一人々々人々の事情を聞き分けてやれ、これききわけたら鮮やかに治まる。という意味で、左足ねまるのは、一人一人丹念に足を運んでやれということを指示されたのであろう。
【摘要】
肩は荷物を担ぐところである。たとえ困難な事情があっても、それは成人の道すがらとさとり、将来を楽しんで、苦労を苦労とせず、自ら進んで重荷をたんのうして担え、とさとしていられることは、肩の役割と関連して、よく悟らせていただかなければならぬ。一言にして肩のさとしは、尽くし運ぶことー理の実行ーについてのものであると云えるであろう。これは、肩は物を担う処であることと関連して考えなければならぬと思う。尽くし運んですぐ御守護が見えればよいが、むしろすぐ御守護の現れないことが多い。それが将来への伏せ込みとなるのであるが、その時人間思案で迷うたり疑ったりしていずむ。そこを一段と尽くし運ぶところに、その人の真実があり、真におたすけいただく道が開かれるのである。 足ねまる(足が大変だるいこと)については、親切に足を運んでやることをさとしていられる。 おさしづには、積極(+)と消極(-)の二つがある。即ち”すべし”と”すべからず”である。足の場合、積極(+)のおさとしとなっているものが多い。

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