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山本利正身上の願及び乳母の願

さあ/\身の処から事情尋ねる/\。尋ねて一つ/\理が無くば理治まろまい。小人たる処、事情どうでも何ぼうでもどうもならん。さしづ尋ねた。これまで何度さしづ諭したる。尋ねばだん/\さしづは悉くさしづしてある。さしづはその場一つの理によって鮮やか分からん。見にゃ分からん、通りてみにゃ分からん。これまでは治まりという理分かり難ない。小人よう聞き分け。これまでさしづは間違った理は諭してない/\。後々は一つ、いつ/\どうも長い道すがら、いかなるも日々月月年限越したる。なれどよう/\かたりという。互い/\の中、内々一つ理改めて/\諭す理に、家内一つの理、この理の処よう聞き分け。後々と言えば理が無くばなろまい。よう聞き分け。どうしようこうしようという処、一時成るとはないで。家内それ/\諭する理、これ心と治め諭するからは、めん/\心改めて諭さにゃならん。一時怖わいようなものなれど、後々治まりて後々越し、難儀な道も越し、楽しみの道も、どんな道も連れて通りたいから、苦がい事も聞かし、言い難くい事も言うて聞かし、幾重理も諭すのやで。これよう聞き取りてくれにゃならんで。

押して、乳母の処御許し下さるや
さあ/\十分苦労艱難して、こうという処、さあ/\許し置こう、さあ許し置くで。
【説明】
(1~2)子供の身上と乳母の件を合わせて伺われたについてのおさしづであるが、両者共の治まり、守護を戴くについて「理がなくば理治まろまい」と諭されている。けだし、これまで重ね重ね諭されている親神の思召しの守護の理をよく心に聞き分け、心に治めることが大切であって、そうあれば尋ねていることも治まりを見せていただくとの意味であろう。しかも家の者それぞれがそうあることが肝要と諭されている。
【摘要】
ここに雇用について見せていただくのは、いわゆる雇用の問題一般ではない。見出しの個所に明らかなように、家庭上の事柄にかかわる一つとして雇用の謂である。おさしづ割り書きでは、こうした事柄を指す者として“雇い人”“手伝い”“乳母”“子守”等の語をもって現われているのが大部分であるが、そこにうかがえるところを要約させていただくと、およそ次のごとく言えるかと思う。 (1) 手伝いの人を入れねばならぬほどに家の中が忙しくとも、不足の心をもってしてはいかんので、親神の守護の理に、よく心を致したたんのうの喜びを治めていることが、まず大切である。 (2) 単に手だすけになる、家事がたすかるとの思いではいけない。また、その人が単に間に合うとか間に合わんということで遇すべきものではない。その人を大切と思い、慈しみ、可愛がり、育てるという心が大切である。 (3) 手伝いの人が何度も出入りをして変わってもらわんならんとか、また、その人に身上・事情の徴をみせていただくなどについては、家の中の者も、よく理の治まりをつけてかかる心得が大切である。 (4) すなわちいんねんの理も聞き分けて心治まる、また治めてやる在り方・配慮をしなくてはならない。 (5) なお家庭の中に雇い人を受け入れるについての基礎的な心得としては、“皆同じ理”を心に治めていることが大切である。すなわち来てもらう側の人々も、来てくれる側のその人も、もともと親神の子供としては同じ理・一れつ兄弟の間柄にあるという理を、心に治めていることが大切なのである。

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