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寺田半兵衞娘コウ二十才孫真之助七才両人身上障りに付願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\身上どうでも鮮やかならんと思う処尋ねる。あちらがどうであろう、こちらがどうであろう、一時分かろうまい。一時聞き分けにゃ分かり難ない。一つ所いつ/\までと思う処、一つあちらへ分かれ、皆思う。よう聞き分け。所を変わりて身に障るとはさら/\ないで。これだけ発散諭し、理を見て心に掛かる処さらに無い。さしづ悟り間違いと思う処、理であろなれど、世上一つ理見にゃなろまい。一時大変と思う。暫く道であろ。いんねん理であろ。めんめん一時世上理に持たず、先々理が栄えば理である。道案じ理は要らん。一時の処たんのうは出け難くい。先々案じ無きと聞けば、楽しみ定めにゃならん。これだけ諭して置こう。(右のおさしづは、コウ大熱となりうつゝにてたわ言ばかり言い、夜分はなほ大き声にてうめくに付伺)
【説明】
寺田半兵衛、網島分教会初代会長。 今一時大変と思うであろうが、それはしばらくの道中であろうし、又因縁の理であろう。各自今一時の処、世界並のことを考えず通れ。将来理が栄えればそれが天理である。お道を通るのに案じる理はいらない。今一時の処たんのうは出来にくいであろうが、将来案じることはないと聞くならば、楽しみの心を定めて通らねばならぬ。という意味で、娘孫二人身上障りは、人間心から、娘や孫に不自由さすのは不憫であろうが、因縁を自覚し、困難な道中、将来を楽しんで、たんのうして通れ。ということを指示されたのであろう。
【摘要】
家内に何人か同時に身上社のある場合は、家内中の者が、皆よく因縁を自覚してたすけ合う。如何なる中も日々をたんのうして通れということを指示していられる。

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