おさしず検索


増野正兵衞足の怪我、及び小人障りに付願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ事情小人という、いかなるという。事情は小人一寸の事情なら何でもない。めん/\も内々それ/\案じ一つ事情、案じるなれど、事情案じる事要らん。よう聞き分け。何でもない、小人一寸掛かる、ほのかのように思う。ほのかのように思うなれど、ほのかやない。どんな事もこんな事も、万事理を集めて取り扱う。これは日々受け取る。受け取るは日々事情、なれど、ほのかの事情とさら/\持たず、心に万事こうと仕切りた話、忘れるに忘れられん。うゝかりして忘れられん。難しい事情あって、万事理を集めて、小人事情案じる事要らん。聞いたら一つ、見たら一つ、じっと思案。身の内事情尋ねたら、こう事情急がにゃならん。一つ計らにゃならん。これ一つよう聞き取ってくれるよう。

押して、急いでという処は、本席御普請の処でありますや願
さあ/\心に掛かるだけ、あちらへ談じ、こちらへ談じ、談示日々の処から積もり掛かる。一名一人の心、我心だけでいかんという。なれど、万事談示の台とも言うたる。これ聞き取りて日々という。
【説明】
増野正兵衛、本部員。 身の内の事情たずねたら、このように事情急がなければいかんし、皆と相談せねばならんという、このことをよく聞き取ってくれるように、という意味で、足の怪我は、すみやかに事情を運べということを指示されたのであろう。
【摘要】
足は歩くものである。従って、足に関するおさとしが、信仰の道を、即ち神一條、たすけ一條の道を踏みはずさずに、勇んで通ることに関したものであることは直ちにうなずけることでもあろう。而して勇んで通るにはいんねんの自覚が大切である。いんねんを自覚して通る心は、たんのうの心ということが出来る。たんのうの心に先案じがあってはならぬ。又たんのうは単に自分がたんのうするだけでなしに、相手にもたんのうしてもらうようになってこそ、本当のたんのうということが出来る。先案じせず、日々をたんのうして、理をふみはずすことなく、一條に信仰の道を歩くところに、足の病をおたすけいただく根本があろう。理の運びを速やかにする時、速やかに足の病をおたすけいただく御守護がある。

TOP


お道のツール