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中津 今村熊太郎手の出来物に付伺

さあ/\/\/\尋ねる/\、一名一人の理を尋ねる。とんと今は理を分かり難ない。これまでこれ程尽してある。所々何とうした事と思う理を尋ねる。これはどうや、こういうもの何でこう成ると思う処、これは納して置け。最初の掛かり、喜んだ時の心治めて、じいと心鎮めて置け。早く理も分かる。これまで何とうした事と思う。一つの心を運び尽して置いた事は、神見て放って置かん。容易に捨てはせん程に。理も成程と聞き分けて、あちらも治まると、こちらも治まると、世上の理を見て、蒔いた種はすたりたかいなあ、思う心捨てゝ了うて、まあ、じいと心を治めて置けば、遠からず理に寄せて分かる事と、さしづ一つの事である。
【説明】
今村熊太郎、中津大教会二代会長。 これまでこれほど尽くしてあるのに、どうして、身上にこういうお障りをいただくのかと思うから理をたずねるのであろうが、一体これはどうしたことか、こういう物どうしてこうなると疑問に思うところ、これは今しばらくしまっておけ。最初、お道を信仰しはじめた時に、喜んだ時の心を再びよく治めて、じっと不足の心をしずめておけ。一心に運び尽くしておいた事は、親神様がご覧になる、ほっておかれない。播いた種は、だめになったかいなあと思う心は捨ててしまって、今一時じっと不足の心を治めておけば、遠からず理の上から解るようになる。という意味で、手のできものは、不足せずに親神様に手びかれて信仰せよということを指示されたのであろう。
【摘要】
腫れ物については、「ふくれる」という症状との関連からであろう。「ふくれつら」をしてはならない。即ち不足をしてはならない。ということを戒めていられる。腫物は、皮膚がはれ、やがて破れるものであって、くにさづちのみことの守護(皮つなぎ、金銭、縁談、万つなぎの守護)が切れることである。”不足は切る理”というお言葉と一緒に思案さしていただくと、よく了解されるであろう。不足は結局自我をつっぱりすぎるからで、皮膚の病の場合は、月よみのみことの守護(骨つっぱり、万つっぱりの守護)を照らし合わして思案さしていただくことが大切であろう。

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