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五条支教会所陰暦毎月十一日入社祭、毎月一の日説教日の願

さあ/\尋ねる事情/\/\、一日の定日という。改め始め掛けたる処、変わらんがよいで/\。始め掛けた処、変わらんよう。なれど、事情といえば許さんではない。なれど、初め変わらんが誠一つの理と言う。多い少ないは言わんで。この事情をようく聞き取りてくれるよう。
【説明】
(1) 五条支教会(現大教会)は「おさしづ」によると、明治二十五年三月三日付でお許しを戴いている。一年後、強制拡張をはかって、改めて入社式・説教日など日取りを変更して願い出たものと思われる(「教会史資料」(二)参照)。
【摘要】
祭儀に関する事情というのは、一般にほとんど起きない。祭儀式は定められた形式があって、それに準拠して執行されるものであるから、もし問題が起こるとすれば何かの事情で、それが規定通りに執行できない場合ということになる。この場合、祭儀式の種類によって、それぞれの事情が複雑になってくるのは言うまでもない。  祭儀の中心はおつとめである。一般教会のと教会本部のとの相違および関連性、つとめ人衆の理、祭典日などには、それぞれ理がある。なぜ、そうなっているかという教理的理由があるので、やむをえない事情以外おさしづでは変更しないように諭されている(なお変更については、明治二十九年四月の内務省訓令以後の、とくに明治二十九年五月二十日のおさしづ、および「稿本中山真之亮伝」215~235頁参照)。  このような事情のおさしづは、適当な引用例をあげることが難しいので、ここでは、祭儀に関係のあるおさしづの中で、特に祭儀を諭されていると思われる例を引かせていただいた。もちろん例の数も不十分であり、本部と一般教会とが同列に取り上げられているなど雑然としているが、これらの例から、祭儀に関して疑問の起こりそうなところや、その悟り方が明らかになろう。  明治二十七年七月三十日のおさしづは、世界の事情の項目にもあげられているが、おつとめの意義が鮮明に述べられている例として、ここにもあげさせていただいた。また祭儀にはおつとめ以外、たとえば葬祭などいくつかあるが省略した。

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