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平野楢蔵堺並びに中河分教会の治め方もありますので行く願

さあ/\彼是の道/\、又あちらもこちらもと言う。一時の道速やか見る事出けん。なれど道の運び台として、これ元の台として一つ改め掛からにゃ、さあ/\治まらんとさしづして置こう。聞けばなあ、見ればなあ、だん/\と言う。これ治まらん。人の中たゞ柱という、柱持って通ればどんな事でも治まる。知らず/\道だん/\事情一つ/\現われる。とんと計り難ない。なれど旬々道浚えにはめん/\浚え。これだけ話して置くによって、速やか心置き無う行ってくれるよう。
【説明】
(1) 前川菊太郎氏は堺の世話人を勤め、中河では会長となったという関係がある。このおさしづは郡山初代平野楢蔵氏が堺ならびに中河の治め方もあるので出張する伺いである。  堺では神世組(講元平井恒七)と朝日組(芝辻秀松ら)と合併し、堺支教会設立の運びとなった。その設立準備に本部より前川氏出張し種々の調査の結果、第一会長候補の平井氏を除き次席芝辻氏を会長に推薦した。ところが、その方針で進む途中で芝辻氏は急死した。したがって次席平野辰次郎氏が選ばれ、明治二十五年四月堺支教会所の開筵式が挙行された(「教会史資料(四)」参照)。  中河分教会では明治二十三年三月、山本利三郎氏名義で本部認可されたあと地方局認可がかなった。二十五年一月板倉槌三郎氏名義で、中河分教会設置の地方庁認可を得た。その年十一月開筵報告祭のあと二派を生じた。もっとも両氏は、本部にあって激務があり一教会長問題に恋々とする人柄でないが、周囲の情勢よりやむない内訌となった。以後両派の確執激しく、真柱の命により山本・板倉両氏は本部詰めとなり、明治二十六年五月二日前川菊太郎氏が派遣された。このおさしづは、その直後、平野楢蔵氏出張のおさしづである。 (2) 教会事情が起こり種々粉講が起こっている。現在すぐにきれいな道になりにくいであろう。これも道を歩む道すがらの台であり、これを元一日の台として、これから改めてかかってくれ。そう簡単には治まるまい。あちらの話を聞けばもっともだ。こちらを見ればなるほどと言うようでは、ちょっとに治まらん。 (3) 旬々に道を浚えるには各自の心を、まず浚えなければならない。自分の心も浚えずに、相手の心を改めさそうとしても無理である。これだけ話しておくから、さっそく心置きなく行って来てくれ。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。

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