おさしず検索


寺田半兵衞二十一日より腹痛甚だしく身体自由ならず、食物頂く事出来ず、役員談示の上、光原二十四日おぢばへ罷り出で、二十五日朝御伺いの言葉、この時娘小近の面てい眉毛の上に出来物出来、目も腫れ塞がり痛み甚だしく、同時に願

さあ/\尋ねる事情/\、事情身に一ついかなるさしづと言う。又一つ堪えられん、どういう事であろ。身に一つ尋ねる。いかなるも尋ねるであろう。いかにも事情身の悩み、これは案じる事要らん。これまでだん/\諭したる。一時どう/\思うよう行かんなれど、世上見ればどういうものであろう。とんと事情公然たる事情、支配たる限りは、いかにも一つ又一つとんと遅れる。日々一つ事情、日々兄弟仕切りてこれも事情なれど、それの事情でない。小人身の処身の障りだん/\あろう。世上見れば日々心に持つ。心持つ事要らん。大きなものに理は一つ、小さきものゝ理は一つ、大きなものに理は一つ、小さきものに理は一つ、これはどういうもの。同じ理同じ事これは理。これまでどんな事情世界事情治め方、多分ありて大きい事、小さき事もある。高き理見てそこで大き理一つ、小さき理一つ、これ聞き分け。又子供一つこうしてしては一つある。これよく聞き分けてくれるがよい。
【説明】
寺田半兵衛、網島分教会初代会長。 子供が身上の障りをいただいているのは、段々理由があるであろう。世間のことを見れば、日々心に不足を持つことは無理もないが、持つことはいらない。父親も娘も理は一つである。という意味で、面てい眉毛の上に出来物出来たのは、世間のことを見て不足してはならぬということを指示されたのであろう。
【摘要】
腫れ物については、「ふくれる」という症状との関連からであろう。「ふくれつら」をしてはならない。即ち不足をしてはならない。ということを戒めていられる。腫物は、皮膚がはれ、やがて破れるものであって、くにさづちのみことの守護(皮つなぎ、金銭、縁談、万つなぎの守護)が切れることである。”不足は切る理”というお言葉と一緒に思案さしていただくと、よく了解されるであろう。不足は結局自我をつっぱりすぎるからで、皮膚の病の場合は、月よみのみことの守護(骨つっぱり、万つっぱりの守護)を照らし合わして思案さしていただくことが大切であろう。

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