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城島分教会へ赤十字社より幻灯の事に付、教会所を借りに来たりしに付、貸して宜しきや願

さあ/\尋ねる事情/\、まあ一寸一時所ではとんと心得ん/\。まあ一時の処頼めば、一つ言葉だけ添えてやるがよい。とんと分からん事情、まあ一時の処、そんだらと言うてやるがよい。そうして一つ事情諭し置こう。顔という、一寸遁れるに遁れられん。平でどうと言うや、通られん事は無い。なれど皆子供のする事なら、一つ聞いてやらんにゃならん。心これだけと言う。頼んだ事情こうと言えば篤い事になる。どうしたさかいにどうという事は無い。前々内々に諭したる理あるによって、その心ばいで扱うがよい。

押して、向こうより願の事情に就て一株でも持ったものでありますか、又断わりたものでありますか
さあ/\そらどうもならん。皆んな救けやい/\。親寄り合って何ど無心の事情ある。深い思わく理要らん。ほんの気休み、一寸事情深き思わくは要らん。これだけ諭し置こう。
【説明】
(1) 現敷島大教会 (2) 理を立てるとかいうことなになると、断りきれないことにもなろうし、また、それでも「平にご容赦願いたい」と言って通ることもできる。けれども、こういうことをしているのは、親神の可愛い子供であるということを考えるなら、聞いてやらねばならない。難しく考えないで、心だけのことと思ってするがよい。頼んで来たからと言えば、相手も感謝する。何をしたからということはない。前に諭したところ(同年五月十四日朝のおさしづ)を心において扱うがよい。 (3) 言ってみれば、こちらは親である。その親が寄り合って子供の事情に「何ど無心の事情ある」などと考えることは不要だ。子供のために気休めになるなら、というつもりで治めたらよい。
【摘要】
「教政」という項目には、教会を治めて行く上での政治的事情のおさしづが入る。その大部分は神道本局との交渉関係のものである(これは全部本部関係のものであるゆえ、ここでは省略する)。ここには、広い意味の教政の中で出張の項目に入らないものを雑然と上げさせてもらった。教会本部関係のもの、一般教会の場合に適用される悟りが得られると思われるものを含めた。  具体的に言うと、 (1) いろいろ先回り、先案じをするのはよくないので、誠心誠意低い心になって事に当たるべきである。 (2) 悪でも善で治めることが大切である。 (3) 社会のしきたり通りで済むことは、その通りにする。 (4) 社会の人々の心に納得と安心が行くようにする。 (5) 事情がどういう事情か見分けて、お道として当然なすべきことは、旬々の理に従って対処しなければならない。 というような点を、お諭しになっておられる。  また関心の高まっている対社会問題については、ここには載せてないが日清・日露の両戦役に関するおさしづ等も参考になろう。一般的に言って、応法と言われるような事情については、付き合いとして処置せよというお諭しが多い(「あいそ」という言葉が使われている)。あまり社会的問題に深入りしないように戒められ、常に神一条の精神でたすけ一条の事情として処置することの必要を強調されている。

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