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分支教会長より本部普請の事情議決に付願

さあ/\尋ねる事情/\、まあ前々よりも話伝えたる。広いと言う、狭いと言う。あちらも一寸、こちらも一寸、ぢばを定め掛けたる処、どうも思うは理。思わにゃならん。なれど他に事情を持って運び掛け。どうでも分からんから他に運び掛け。思うようにしようやないかい。一寸なる事は難しい。難しい事はない。多くの口が開いたぞう。大変困る事ある。そこで事情小さい話から取り掛かり、所々運び、どうでも所運ばにゃならん。他に事情来たそよと言う。精神は受け取る。なれど、いつまでにどうせにゃならん、と、これは言わん。天然で成りて来る/\。これまで狭い地所であって随いて来た。年限重なり世界道と言う。あちらの端、こちらの端寄せ掛け。事情一寸三分処は、これまで些か七分と言う。天然というは、縄を張って何間何尺定めたるようなもの。一つ世界理の下ろしたる処、先々より始め掛けにゃならん。時節治まらねばいかん。精神定め掛けたる。僅かの年限心の理は受け取りてある。これから何年先どうせにゃならんと言うは理、精神は受け取る中にと言う、いつまでと言う、もう十年祭一つふしとも言う。一つの理である。これまで相当追々の心尽したから、今日の道長らえ、年限短い。三分と言う。これから七分というは理が七分。事は振り替わりてある。三分の理は七分、七分の理は三分、道理あれこりゃの理は分かろうまい。僅かは七分、多くは三分、急くと三分が七分になる。急かず/\追々の力を添え、それ、三分と七分と大変違う。七分いつの間にやらと言う。急いてはいかん。それより所々にて長い心を持って、これだけさしづありた。急くも道、急かんも道、年限いつと/\年限切らず、一つ掛かってくれるがよい。
【説明】
(1) 本部御用場普請は、二月五日よりかかり十二月三日竣工した。このおさしづは、御用場ならびに本席宅の普請を教会長会議で議決したので願った。 (2) 広いとか狭いとか言う。あちらもこちらも手をつけ、おやしき整備にかかっているが、ぢばのことを思ってくれるのは理である。思ってくれねばならん。 (3) 精神は受け取る。けれどもいつまでに、どうせよとは言わぬ。天然自然になってくる。これまで狭い地所であったが、皆ついてきた。年限も経ち道は世界へ伸びている。あちらの端から、またこちらの端から寄せている。これまで、とかく七分は人間思案、三分が神の理で通って来た。天然自然というのは、縄を張って何間何尺と定めてあるようなもの。地方先々の教会より始めかけてくれ。時節が到来したので治まらねばならぬ。 (4) 急くも道、急かんのも道である。年を切らずかかってくれ。
【摘要】
本部の地所に関するおさしづを通覧すると、次のような点に神意が現われている。 (1) 神のやしきの地取(範囲)は、既に神意として定まっているということ。かねがね教祖は「八町四方は神のやかた、奈良初瀬七里は宿屋ばかり」と仰せになっており、遠大な親神の思召しが着々実現されていくことになる。 神のやしきの地取りはすでに定まっている (明治22・10・20) 縄を張って何間何尺定めたるようなもの (明治26・6・13) 元のやしきへ成って来る (明治23・4・24) 年限だん/\重なれば八町四方になる (明治27・11・17)    というようなお言葉に、そのことがうかがえる。 (2) 道の子供たちが親神を慕って帰って来るぢばであるゆえに、広い地所が必要である。教祖十年祭を迎えるに当たって教祖殿建築につき伺うと、  親の内は地所さい広がりたら十分。子供戻るぢば無うてはどうもならん (明治28・3・10) と言われ、これより詰所がぢばに建築され賑やかとなる、広い地所を神はお望みである。  広く要る/\、急くも神、抑えるも神の働き (明治22・8・18) (3) おやしき拡張のための地所買い入れは、申すまでもなく親神の親心によってご守護をいただくのである。  地所集め掛けたる処、大抵々々もう少しの処、直きに集めさして了う (明治28・11・14)  道の理運んで万事の処心さえ持って働きさえすれば、どんなことでもさしてみせる (明治33・4・20) (4) おやしき拡張整備のための土地購入は急いではならぬ。年限によってご守護をいただくのである。  年限という処から、ぼち/\掛かれば成る (明治34・2・10)  成程という処から何でも及ばす。年限の理を持って及ばす (明治32・1・15)  大木の大きくなるようなもの (明治28・8・19) また、旬がくれば口を開いたように、鮮やかに順調よくご守護をいただく、とも言われる。教祖五年祭(明治二十四年)を迎えるに当たって、その前年のさしづには、 広くぢばが要る。要るというて前にも諭したれど、やしきの取りようもないと思うやろう。なれど一つ口が開けたら皆寄り来るであろう。(中略)仮家普請差掛普請、一寸始め掛けた (明治23・6・21)    それは日覆いを取り除けるようなものだと言われている。 (5) 土地買い入れについての人の心の在り方はどうであればよいか、と言えば、この点については、  大層々々は受け取れん。大層してはたすけ一条何もならん (明治33・3・16)  かけ合いなら何時でも許し置く。尋ねるまで。大層の処世界にも成らん (明治32・1・15) しかも大切なことは、各人の発意によるものであって、無理なことは神は受け取れぬ、と言われている。  運ぶ尽くす理は受け取る。(中略)しようまいと思たて、出来掛けたら出けるで (明治25・6・20)  何にも進めるやない、頼むやない (明治22・10・23)  いずれ広くならにゃならん。(中略)人の心によりて心一つ成るものや (明治34・11・13) ――親神の深い思惑によって、親神のご計画が着々実現されつつあることに間違いはない。かつ、道の普請(建物の場合)は仮普請で、更に将来へ向かって発展する一過程における普請であることが特徴的で、道の子供たちの勤めは、一日も早い親神の思召し実現に努力することである。  先々育てて成人したら、どんな所からどういう事出けるやら知れやせん (明治28・11・14) と、非常に子供の成人に期待をかけられている。そのご期待に応えるには、どのように努めればいいか、この点が最も肝要なところであろう。

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