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春野利三郎身上事情に付願

(春野利三郎おさしづにより段々と諭し、少々おたすけを蒙り、今一層障り良くなくに付、又身上障りの処より出物出難くいおさしづを押して願、神戸兵神分教会より出て盡すがよいか、又本人は大阪へ行き度く、増野正兵衞同様に宅へ連れ帰り安心をさしたいとの願)さあ/\尋ねる事情/\、一寸前一時以て事情尋ねる処、身の処より一寸事情諭したる。一時事情迫る処、順々の理を諭したる処、さあ諭したる理思うよう治まれば、一時少しなあ治まる。又一時難しい。又どういう事であろうと、唱え違いであろうか、諭し違うのか。よう聞き分けて、よく事情諭して、心治まれば身が治まる。一つ大変と思う、又他に大変と思う。一先ず尋ねる。尋ねば一つ事情、事情理は諭しよう。諭せば心に理が治まれば一寸暫く。早く聞かすがよい。身に迫る、身が切なみ、どうこう思う処、何の楽しみ薄きもの。尋ねる事情さしづ/\理は間違えあろうまい。一寸言えば一寸、一寸言えば一寸遁れる。遁れられんは精神一つ、暫くの処、どうでもと思う。思うは理、他に理、理と理と身上どうでもと言えばどうむならん。これまで結構分かりある。又めん/\暮らす中、結構事情どうこう思えど、一日の日難しい。一寸早く聞き分け。迫る理と諭し、外にどう、誰にどう、こら要らん。一名こうと言えば治まる、他にどうと言うまで。めん/\こうという理、一時治めて見るがよい。これ一時暫く事情と言う。これ諭しよう。

春野に子を貰い後継ぎ定める事の願
さあ/\後々まで尋ねる事要らん。後々というは、どうこうあろうまい。一つ理寄せて了えば理、後々立てば一つの理、あちらにあるもこちらにあるも同じ理、皆暮らすも同じ理、よう聞き分けてくれるよう。
【説明】
(1) 春野利三郎氏の妹いと姉は増野正兵衛氏の妻。正兵衛氏の姉きちの子供に、松輔氏(増野本家を継ぐ)と喜市氏がいた。喜市氏(明治八年生)を春野家の養子に迎えたいと伺う。この年、喜市氏は十八歳。 (2) 利三郎の身上障りに当たり後継ぎのことを心配しているが、あとあとのことまで尋ねることはいらぬ。いんねんある者を寄せて、あとが立てばよいことである。あちらにいるも、こちらにいるも同じ理である。みんなで暮らすのも同じ理であるから、後継ぎを心配することはない。
【摘要】
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。  ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。  おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。

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